ヤク山田 2戦連発32号 東京五輪も主砲「選ばれたい」

[ 2016年8月5日 05:30 ]

<ヤ・広>6回2死一、二塁、山田が右中間に3ランを放ちナインに迎えられる

セ・リーグ ヤクルト5―2広島

(8月4日 神宮)
 野球復活の祝砲だ。ヤクルトの山田哲人内野手(24)が4日、広島戦の6回に右中間へ2戦連発となる32号3ランを放った。チームを最下位から脱出させるダメ押しの一発で、リーグトップのDeNA・筒香嘉智外野手(24)に1本差に迫った。この日、20年東京五輪の追加種目として野球の復帰が正式決定。前人未到の2年連続トリプルスリーを狙う山田は、28歳になる4年後も筒香とともに日本の主軸打者として期待される。

 祈りが通じた。2点リードの6回2死一、二塁。山田の打球は右中間へ伸びていった。

 「本塁打になれ!」

 次の瞬間、スタンドイン。リーグトップの筒香に1本差に迫る2戦連発の32号3ランを「手応えは良くなかった。フェンス直撃か、捕られるかなと思った。風か球が変わったんですかね」と冗談めかして振り返った。

 特別な日に一発を放った。20年東京五輪の追加種目として野球競技の復帰が決定。山田は28歳と最も脂が乗りきっている時期に戦えることになり、「本当にうれしい。まだ先のことですが、毎年シーズン頑張って(侍ジャパンの)メンバーに選ばれたい」と意気込んだ。

 「プロ野球とかあまり見なかった」と振り返る少年時代。球場に足を運んでも落ち着きなく売店に向かったりしていたが04年の日米野球は違った。米国代表は今季限りで引退するメジャー通算528本塁打のオルティス(レッドソックス)ら豪華メンバーを擁し、パワーもスピードも規格外。当時12歳の山田は、米国外野陣が試合前のシートノックで本塁へ矢のような送球をする姿を食い入るように見つめた。父・知規さん(58)は「あんな哲人は珍しかった。“すげぇ”って興奮してました」と振り返る。

 ヤクルトに入団した10年。先輩の宮本、青木の名前を挙げ「日の丸を背負える選手になりたい」と誓った。14年の日米野球で侍ジャパンに初選出されると、日の丸を背負い続け、昨季はトリプルスリーを達成した。有言実行の野球人生で、東京五輪でも「日本の顔」として期待が懸かる。

 山田の勝負を決定づける3ランで2連勝し、最下位脱出。「(本塁打の打席は)点が入れば勝ちになる展開かなと。勝ったのでよかった」。4年後の東京五輪。無限の可能性を秘めた24歳はどこまで成長しているのだろうか。 (平尾 類)

 ▼ヤクルト・杉村チーフ打撃コーチ(山田の一発は)打った瞬間いい音だった。(打率は)仲のいい坂本と質のいいタイトル争いをしてほしい。勝負の8月だよ。

 ▽山田と侍ジャパン シーズン193安打を放った14年秋の日米野球に22歳で初選出。トリプルスリーを達成した15年秋の第1回プレミア12は、全8試合に「3番・二塁」でスタメン出場。メキシコとの3位決定戦で先制弾を含む2発を放つなど、打率・308、2本塁打、4打点の成績だった。

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