【フリースタイルスキー】柳本理乃、病魔と闘い初五輪切符――魂の滑りで誰かの励みに

[ 2026年2月3日 05:30 ]

練習を行う柳本理乃(撮影・高橋 茂夫)
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 フリースタイルスキー女子モーグルの柳本理乃(25=愛知ダイハツ)は、24年4月に公表した「脳脊髄液減少症」と闘いながら、初の五輪代表を射止めた。22年北京五輪は代表入りに迫りながら、脳振とうの影響であと一歩届かず。再起の途中に襲った疾患、昨年12月の骨折など、次々に訪れる困難を乗り越え、夢の舞台に立つことで伝えたいこととは。(取材・構成 阿部 令)

 「4年前の北京五輪は、あと一歩届かなかった。本当に、ただただうれしくて、ここまで支えてくれた方々への感謝の気持ちが凄く心に浮かびました」

 1月26日、さっぽろばんけいスキー場で行われたモーグル日本代表の会見。他の女子3選手と並び、ミラノ行きの航空券を模したボードを手にした柳本は、穏やかな笑みを浮かべてそう語った。5年越しでかなえた夢舞台への道のりを、心の片隅で思い出しながら。

 さかのぼること4年2カ月前。北京五輪の選考を兼ねた21年12月のW杯開幕戦で6位に入り、代表候補に急浮上した。前シーズンからW杯に本格参戦していたが、順位は2桁続き。逆転には上位進出が必須の状況で、その後も5位、自身初の表彰台となる2位と好成績を連発。北京行きがはっきり見えてきた、その直後だった。

 12月18日、フランスでのW杯。公式練習の第1エア後のコブで、バランスを崩して転倒した。「自分で降りたらしいんですけど、転ぶ直前から15分間くらいの記憶がない。覚えていないということが致命傷だと分かっていたので、めっちゃ泣きました」。下された診断は脳振とう。周りの尽力もあり3週間で実戦復帰したが、エアは恐怖心が付きまとい、コブでは体が勝手に減速動作を起こした。五輪代表は落選。翌1月中旬、米国でのW杯を終えると、北京に向かうチームを離れ、1人で帰国した。

 「エアを飛ぶ前に、頭が真っ白になることがあった」。再起のシーズンとなった22~23年はトラウマとの闘いだった。それでも全試合で1桁順位と安定した成績を残すと、翌23~24年の第2戦で2位に入り、2年ぶりの表彰台。年内(23年12月)だけで表彰台3度と成長した姿を見せたその裏で、人知れず体の変調と闘っていた。

 「体調不良が続き、移動の車で酔いやすくなった。以前は本を読んでも平気だった。酔った状態で滑ったり、滑り終わると頭痛がしたり。(23~24年の)シーズン前から、おかしいと思っていた」

 脳脊髄液減少症は主に問診によって発覚する疾患とされる。柳本も脳神経外科での診察やCT検査を受けたが、診断は異常なしだった。病名すら分からない不安と闘う日々。そんな中、24年2月のW杯で再び脳振とうを起こし、W杯最終戦と全日本選手権を欠場。3月に検査入院すると、医師から「よく生きていたね」と言われるほど重い脳脊髄液減少症と診断された。手術(治療)は「凄く痛かった。二度と受けたくない」ほどだったが、疾患の正体が分かり、どこか心は晴れた。

 4月、自身のインスタグラムで脳脊髄液減少症を公表するとともに、「この経験が同じ症状で悩む誰かのために少しでもなったらいいなと思います」と記した。「分かりにくい病気だから、自分の経験が誰かの参考になればいい」との思いがある。そして、病魔と闘いながら競技を続け、もし五輪に出られたら誰かの励みにもなるのではないか――。その思いは結実し、まもなく大舞台のスタートに立つ。

 今シーズンもW杯開幕戦前の昨年12月に右鎖骨を骨折し、緊急帰国して手術を受けた。それでも3週間後には雪上練習を再開。年明けのW杯3試合に出場し、臨戦態勢を整えつつある。「自分の滑りを通して、諦めないことの大切さを伝えることができたらと思う」。七転び八起きのモーグル人生。五輪ではどんな結果が待っていようと、柳本の滑りは、きっと人々の心を動かす。

 ▽脳脊髄液減少症 脳と脊髄を満たして保護している脳脊髄液が、何らかの原因で硬膜から漏れ出し、減少する疾患。液の減少によって脳内の圧力が下がり、脳が沈み込むことで神経や血管が引っ張られる。主な症状としては頭痛、めまい、耳鳴り、吐き気、倦怠(けんたい)感などがある。原因は交通事故やスポーツ外傷がきっかけになることもあるが、不明のケースも多い。治療には安静や点滴治療のほか、自分の血液を漏れている場所に注入して穴をふさぐブラッドパッチ療法が有効とされている。05年には米俳優のジョージ・クルーニーが発症を公表した。01年に日本の医師が発見した病気と言われている。

 ◇柳本 理乃(やなぎもと・りの)2000年(平12)12月13日生まれ、愛知県津島市出身の25歳。清林館高、愛知工大を経て、23年4月から愛知ダイハツ所属。モーグル愛好者だった両親の影響で小1で競技を開始。高3だった19年2月にW杯田沢湖大会でW杯デビュー。20~21年シーズンから本格参戦し、21年12月にデュアルモーグルで初の表彰台となる2位。W杯で通算7度の表彰台。身長1メートル59。趣味は滝観賞。

 

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