追悼連載~「コービー激動の41年」その47 新たなトラブルメーカー出現!

[ 2020年4月3日 09:00 ]

レイカーズ移籍後、新たな火種となったゲイリー・ペイトン(AP)
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 2季ぶりの王座奪還がかかっていた2004年プレーオフ1回戦の相手は、226センチのセンター、姚明(中国)を擁していたロケッツ。ジャクソンはシリーズが始まる前から頭を抱えていた。問題はチームメート同士の内紛だけではなかったのだ。このシーズンのレイカーズには故障者が多かったし、なによりブルズ時代を含めて“王朝”を支えてきた鉄壁の戦術「トライアングル・オフェンス」にジャクソンは確信が持てなかった。

 「相手に読まれているはずだ」。ロケッツの監督はニックス時代にファイナルを経験している当時42歳のジェフ・バンガンディ。ディフェンスを重視するスタイルで高校のコーチから世界のトップリーグまではい上がってきた指導者でもある。

 ジャクソンは裏の裏をかこうとした。それで思いついたのがトライアングルのパターンについてのコール(指示)をベンチではなくコート上にいる選手にやらせること。「トライアングルに関するシグナルは1試合で5回から10回ほどベンチから出すのだが、それでは相手に考える余裕を与えてしまう」というのがジャクソンの考えだった。

 では誰にその役目を負わせるのか?ナンバープレーと呼ばれるプレーコールの発信元はほとんどがポイントガードだ。だがそのポジションに35歳のゲイリー・ペイトンがいたことが指揮官を悩ませた。「ペイトンはコート上での集中力に問題があった。いつも仲間や審判に話しかけてしまうし、とにかくしゃべりすぎる。シアトル(スーパーソニックス)時代にジョージ・カール(当時の監督)がどれくらい耐えていたのかはわからないが、私の限界は超えていた」。

 そこでジャクソンはペイトンのキャリアやプライドを無視。相手のディフェンスと味方の立ち位置から動きを変えていくモーション・オフェンスのプレーコールをなんとブライアントに一任した。あれほど関係がギクシャクしていた間柄だったが、すでに来季の続投はないと通告された指揮官にとってブライアントと“心中”する方がある意味、精神的にはすっきりして楽だった。

 かくして運命のプレーオフが始まる。ジャクソン自らが「もうこれで最後」と信じて突入したポストシーズン。道のりはやはり険しかった。そう、指揮官が考えていた以上に…。

 4月17日のロケッツとの初戦は地元ロサンゼルスでの一戦。すぐにジャクソン監督にとって想定外の出来事が起こる。こともあろうに開始6分でブライアントが2反則目を犯してしまったのだ。まさかのファウルトラブル。ベンチに下げるしかなく、前半で6点をリードしたとは言え初戦のシナリオは崩壊して、やっかいな試合になってしまった。残り1分で70―71。負けていたかもしれない試合だった。

 だがわずかに運があった。ブライアントがショットクロック直前に放ったシュートはリムに跳ね返ったものの、その目の前にオニールがいて即座にダンク。フィールドゴールの成功率は32・9%ながら、ロケッツの22回にもおよんだターンオーバーにも助けられて72―71というロースコアで初戦をものにした。

 第2戦も98―84で勝ったものの、決して楽な試合ではなかった。しかも試合が終わると、第4Qに出番がなかったペイトンがごね始めた。ジャクソンとしてはペイトンに腰痛という持病があり、一方で控えだったデレク・フィッシャーの調子が良かったのでベテランを休ませたつもりだったが、プライドが高く口がよく動くペイトンは怒鳴り声を上げた。

 どんな言葉だったかはわからない。ペイトンが叫んだ場所は選手用のロッカールームではなくトレーナー室。だがジャクソンはこの罵声を聞きつけ、通路に出て“犯人”を探した。

 それがペイトンだった。出番を奪われたと思っていたペイトンはかなり感情的になっていおり、すぐに代理人に電話して「オレは無視されている」と不満を爆発。プレーオフという大切な局面なのにもかかわらず、舞台裏は大荒れだった。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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