全米オープンを制したウッドランドに賛辞の嵐 感動の映像から4カ月後のメジャー初V

[ 2019年6月17日 13:57 ]

メジャー初優勝を飾ったウッドランド(AP)
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 ツアー4勝目をメジャー初優勝で飾ったゲーリー・ウッドランド(35)は、2打差のリードがあった最終18番で9メートルのバーディーパットをねじ込んでフィニッシュ。ペブルビーチ・ゴルフリンクスで開催された6度の全米オープンでは最少ストロークとなる13アンダー、271で72ホールの戦いを終えた。

 「途中でこれまでになかった手応えを感じていた。でも自分の力以上のプレーをするつもりはなかった。ペブルビーチで勝てたことはとても特別な気分だ」。この大会を迎えるまでにメジャー大会には10回出場していたが、最終日のスコアでは同じ期間にプレーした計236人の選手のうち、234番目の通算14オーバー。最後に崩れるのは言わば“定番”だったが、この日ばかりは最後まで納得のいくプレーとなった。

 ウッドランドの名前が世界的なものになったのは実はこの全米オープンではなく、今年2月にディフェンディング・チャンピオンとして出場したフェニックス・オープンでの出来事。ウッドランドはダウン症を抱えながらもゴルフを続ける20歳のエイミー・ボッカーステットさんを練習ラウンドに招待し、16番(パー3)では自分の代わりにティーショットを打たせてギャラリーの注目を集めた。第1打はバンカーへ。しかしそれでもウッドランドはプレーを譲り、ボッカーステットさんは「私にはできる」とつぶやいて3メートルのパーパットを沈めた。すぐに周囲で大歓声が沸き起こり、ウッドランドはボッカーステットさんを抱きしめて祝福。この模様はソーシャルネットワークに動画として投稿されたが、閲覧回数はPGAツアー史上最多の500万回以上に達していた。そして全米オープンでは3日目を終えて首位に立つと、今度はボッカーステットさんが「あなたならできる」とメールで激励。その言葉通りにウッドランドは難しいコースを攻略して全米オープンを制した。

 飛ばし屋であり、PGAツアー屈指の運動能力を持つトップ・アスリート。カンザス州のショウニ―高校ではバスケットボールのガードとしても活躍し、全米大学体育協会(NCAA)の「ディビジョン2」に所属する地元のウォッシュバーン大に進学した。1試合平均で18得点を挙げ、しかもタフなディフェンダーとしても活躍。しかしカンザス大に転校してからは将来を考えてゴルフに専念することを決断した。

 プロ生活は下部ツアーからスタートしたが、肩の故障などもあって、PGAのツアーテストを2度受けて“メジャー”にはい上がってきた苦労人。2017年3月にはギャビー夫人が双子を妊娠したが、そのうちの1人を流産で失い、トーナメントを棄権したこともあった。

 しかし10週間早い「低出生体重児」として生まれたジャクソン・リンくんはたくましく成長。ウッドランドは「父の日」だったこの日、自分の父親のダンさんの目の前でメジャー初制覇を達成したが、まもなく2歳になる長男からも「父」として祝福を受けることだろう。

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