競歩初の世界選手権メダル・谷井が引退 レジェンドが残した功績は「人の輪」

[ 2019年2月17日 17:16 ]

陸上・日本選手権20キロ競歩 ( 2019年2月17日    神戸市・六甲アイランド甲南大周辺コース )

<日本選手権20キロ競歩>このレースで引退した谷井孝行(前列左)と、応援に駆けつけた妻・美紀さん、長女・美渚ちゃん
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 競歩界のレジェンドが引退した。日大時代の03、04年に連覇した谷井孝行(36=自衛隊)は、1時間22分51秒の12位。妻・美紀さん(36)、長女・美渚ちゃん(8)が見守る中で、競技生活のゴールテープを切った。

 「娘は小さい頃から応援に来てくれて、そっけないと思っていたら、いざやめるとなった時に、“パパがやめたら自慢ができない”って。そういうのを聞くと、頑張って来てよかったと思う」

 このレースが最後になると、昨年10月に公表していた。東京五輪に向けて“次こそメダル”という強い気持ちになれなかったことが、やめる理由だった。自衛隊でコーチになる。涙はない。晴れやな顔で、いつも通り丁寧に取材に答えた。

 競歩仲間から「レジェンド」と呼ばれた。15年世界選手権(北京)の50キロで銅メダル。これは、五輪を含めた世界大会で、日本競歩界初のメダルだった。04年アテネから16年リオデジャネイロまで、五輪に4大会出場。20キロでも50キロでも代表になった。14年アジア大会(仁川)の50キロでは金メダル。「レジェンド」の肩書きは、決して大げさではない。

 小、中は野球少年で、高岡向陵高(富山)から陸上を始めた。入部1カ月で足を疲労骨折したことがきっかけで、競歩の世界へ足を踏み入れた。結果的に、世界的な選手に。母・喜代美さんは“まさか”の思いをぬぐい去れないでいる。

 「幼稚園の頃に(普段の生活で)あまりに転ぶものだから、(身体的に問題がないか)病院で看てもらったことがあります。異常なしでしたが、あの転んだ子が競歩で五輪に4回も出るなんて」

 今につながる素質を、小さい頃から見せていたとすれば、“継続する力”だろうか。父・隆さんは「幼稚園から皆勤賞。風邪を引いていても学校に行くもんねえ」と懐かしむ。高校時代には母が学校に電話して、熱を出しながら登校した息子を、部活から強制的に帰らせたことがあったそうだ。

 コツコツ取り組めたからこそ、長くトップ選手として君臨してきた。もちろん、華やかな時期ばかりではない。谷もあった。09年世界選手権(ベルリン)は50キロ代表で失格。フォームを崩し「競技をやめようと思った」というどん底を味わった。当時、日本代表の今村文男コーチに言われた言葉が、この19年まで続けるきっかけになった。

 「続けていくことが大事だからと言ってもらえて。数年後に少しでも前に出られるように、と考えられるようになった」

 継続は力なり。冷たい風が吹いたこの日の神戸。後輩に言葉を聞かれると、「トレーニングの継続が大事」とモットーを口にした。

 「セルフケアをしっかりして、いい練習を積み重ねた結果がレースに生きる。続けることが大切です」

 谷井が15年世界選手権で銅メダルを獲得した後、男子50キロは日本の得意種目になった。16年リオデジャネイロ五輪で荒井広宙が銅メダル、17年世界選手権(ロンドン)は、荒井が銀、小林快が銅を獲得した。

 谷井の功績は、ここにある。自らが先頭に立ち、日本全体のレベルを押し上げたことだ。

 森岡紘一朗とともに、練習メニューや調整法などを、後輩に惜しげもなく伝えた。妻・美紀さんは「森岡さんと荒井さんが我が家に集まって、練習の情報を共有していました」と振り返る。その輪は後に日本代表レベルにまで広がっていった。合同練習を開催するだけでなく、多くの情報をオープンにした。

 荒井が語る。

 「所属チームの壁など関係なく、谷井さんがチームジャパンとしてやっていこうという姿勢を示してくれた」

 個人競技の陸上において、異例に映る取り組み。12年ロンドン五輪の後、50キロという過酷な種目を志す選手を、温かく受け入れた。

 だから、だろう。

 この日、ゴールの瞬間、荒井はもちろん、優勝した高橋英輝らが出迎えた。引退セレモニーにも多くの選手が集まった。夢だった五輪のメダルは届かなかったかもしれない。だが、五輪の5つの輪よりも大きく、温かい人の輪が、「レジェンド」の周りにはできていた。

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