1秒差でリオ五輪逃した小原 2位にも反省「勝負弱い」

[ 2019年1月28日 05:30 ]

大阪国際女子マラソン ( 2019年1月27日    大阪市・ヤンマースタジアム長居発着 )

日本人トップの2着でゴールした小原怜(撮影・田中 健作)
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 16年リオ五輪代表を1秒差で逃した小原怜(28=天満屋)が2時間25分46秒で日本人最上位となる2位に入った。30キロと35キロのスパート不発で笑顔はなし。武冨豊監督(64)も会見で“公開ダメ出し”し、2度目の五輪挑戦となる東京へ奮起を促した。4位の中野円花(27=ノーリツ)が、新たに東京五輪代表選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」出場権を獲得。ファツマ・サド(27=エチオピア)が2時間25分39秒で初優勝した。

 2位という好成績からは、遠くかけ離れた沈んだ会見だった。1位と7秒差の小原に、笑顔はなかった。

 「30キロ以降の勇気を持って仕掛けるところで、動いたけど、動ききれなかった。勝負弱いところがあった」

 3人の先頭集団となった30キロと35キロで勝負したが、抜け出せなかった。「30キロは仕掛けたようで仕掛けられなかった。もう1回チャレンジした」。2度目のアタックでもマラソン6勝のサドに付かれた。37キロで逆にかわされ、終わった。

 MGCの出場権は既に持っていただけに、武冨監督の評価は厳しい。「つぶれてもいいぐらいでいかないと。まだ余力を残していた」。会見でも辛らつな言葉が並んだのは、期待の裏返しでもあった。

 16年3月の名古屋は1秒差で田中智美に敗れ、リオ五輪代表を逃した。その後、故障が続き、今月5日に脇腹を痛め、2週間走れなかったという。「日本記録に挑める素質」(武冨監督)はまだ発揮されていない。

 それでも3年前の1秒の悔しさが、小原のエネルギーだ。「足が動かず、故障も続いて走るのが怖いと思ったけど、自分が走れる、上を目指せるというのが分かった」。9月、2度目の挑戦で五輪切符をつかんだとき、その才能は開花の時期を迎えるはずだ。

 ◆小原 怜(おはら・れい)1990年(平2)8月10日生まれ、岡山県倉敷市出身の28歳。興譲館高校では3年連続で全国高校駅伝に出場。09年に天満屋入社。15年世界選手権の1万メートルに出場し22位。16年名古屋ウィメンズの2時間23分20秒がマラソン自己記録。好きな言葉は「速い選手より強い選手になれ」。1メートル65、47キロ。

 ▼サド 勝とうと思って来日したのでうれしい。ただ、このタイムで五輪に選ばれるのは私たちの国では難しい。タイム更新して東京五輪出場を試みたい。

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