豪風が引退会見「自分なりの潔さを出した」心残りは「秋田出身と幕内で対戦できなかったこと」

[ 2019年1月23日 15:42 ]

<豪風引退会見>尾車親方(右)同席で、引退会見を行った豪風は汗をぬぐう(撮影・森沢裕)
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 22日に現役を引退し、年寄「押尾川」を襲名した元関脇・豪風が23日、都内のホテルで会見を行い、「体力の限界、気力の限界で引退させていただきました」と語った。

 東十両12枚目の今場所は調子が上がらず、負け越しが決まった9日目の夜に引退を決断した。「一生懸命相撲を取っていたが、ここ1年、2年くらい、なかなか自分の思うような相撲が取れなかった。ここが自分の引き際かなと、自分なりの潔さを出したつもり」と振り返った。

 中大相撲部を経て、2002年夏場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。約17年の力士生活での思い出の一番を聞かれると、まずは「デビューの一番最初の相撲。アマチュアとは土俵上の所作が違い、それで後に横綱になる人に勝ったこと」と、のちの横綱・日馬富士の安馬戦を挙げた。

 その日馬富士からは14年名古屋場所で35歳1カ月の昭和以降最年長初金星も挙げているが、幕内で印象に残っているのは、09年九州場所10日目の関脇・把瑠都に押し出しで勝った相撲だという。「当たって突き起こして、中に入って押し切る相撲。時間は(2秒7で)短かったが、自分がやってきたことが凝縮された一番」と説明した。

 1メートル72と小柄ながら、関取を98場所も務めた。「22歳でこの世界に入って、30歳までできればいいと思っていた。こんなところまでできるとは思っていなかった。(目や右肘の)手術の度にダメかと思ったが、反対を押し切って(角界に)入ったので、こんなケガで終わりたくないと思った。その強い思いだけでやってきた」と思い返した。さらに「高い志を持って、それに向かって鮮明な目標を立て、努力することだと思う。目標が鮮明であればあるほど、努力できる」と訴えた。

 02年秋場所の新十両以降、長らく秋田県出身でただ一人の関取として土俵に上がり続けてきた。その間に秋田県出身の華王錦が十両に上がっているが、対戦はなかった。「心残りなのは秋田出身と幕内で対戦できなかったこと。盛り上げていきたかったというのがある」。自分の後に続く郷土力士がなかなか出てこなかったことを寂しがった。

 今後は押尾川親方として後進の指導に当たる。「もちろん、勝つというのは当たり前。勝つためにしっかり努力する力士。精神的にも、肉体的にも、勝負にも強い力士を育てていきたい」と抱負を語った。師匠の尾車親方(元大関・琴風)は「これだけ長く取るには、陰の努力、苦労をたくさん経験してきたと思う。経験を指導の中に生かしてくれれば、我慢強い、辛抱強い力士になってくれるんじゃないか」と期待した。

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