意外と多い“おじさんファン”青春は女子バレーとともに

[ 2016年5月15日 11:05 ]

第3セット、得点に沸く木村(中央)ら日本代表

 50代以上のおじさんたちの中には女子バレーボールのファンが意外と多い。日本の女子バレーボールは「東洋の魔女」と呼ばれた64年の東京五輪で金メダルを獲得。68年メキシコ、72年ミュンヘンでは銀メダルに終わったものの、76年モントリオールでは再び金メダルを獲得し、黄金時代を築き上げた。当時は男子も女子も選手たちはアイドル並みの人気を誇り「アタックNo.1」や「ミュンヘンへの道」などアニメ番組も大ヒット。五輪で勝てる女子の団体競技はその頃はバレーボールしかなかったから、おじさんたちの青春時代は女子バレーボールとともにあったと言っても過言ではないのだ。

 役者もそろっていた。海千山千の選手たちはもちろん、指導者もカリスマ性を兼ね備えていた。東京五輪の大松博文監督は「鬼の大松」と呼ばれ、スパルタ式の猛練習で選手たちを鍛え上げた。続いて全日本を率いた山田重雄監督は根性、スパルタの大松スタイルとは対照的に、緻密な戦略を重視。徹底的に相手を分析して理詰めで選手たちを指導した。ただし、どちらの監督の時代も、選手は常に監督には絶対服従だった。何も考えず監督の言う通りに練習し、試合では指示通りのプレーをすれば勝てた。その集大成が76年のモントリオール五輪で、絶対エースの白井貴子を中心とする速い攻撃と堅い守りで初戦から連戦連勝。1セットも失うことなく決勝まで進み、決勝も宿敵ソ連をストレートで粉砕し、東京大会以来12年ぶりに金メダルを奪回した。

 80年代以降は日本、ソ連の2強体制が崩れ、中国や米国などの新興勢力が次々と台頭。日本は長期にわたる低迷を余儀なくされる。それでも08年には「IDバレー」を掲げる真鍋政義監督が就任。常に新しい戦略、戦術でチームを変革し続け、12年のロンドン五輪でついに28年ぶりに銅メダルを獲得。日本は再び世界のひのき舞台へ復帰した。

 指導者は代わっても、東洋の魔女時代から脈々と受け継がれてきた伝統の猛練習は今も変わらない。かつて全日本のある女子選手がプロ野球のキャンプを見学に訪れた際、あまりにものんびりした練習にあきれたという話を聞いたことがあるが、毎日全身あざだらけになってコート上をのたうち回っている彼女らから見れば、どんな競技の練習も「のんびり」に見えてしまうのだろう。

 リオ五輪への出場権を懸けた世界最終予選が14日から始まった。かつての黄金時代を知るおじさんたちにとっては、今でも日本の女子バレーボールは「世界一になってなんぼ」の存在である。五輪に出るのは当たり前。いかに五輪につながる戦いができるかが重要だ。会場の派手な応援にはついていけなくても、テレビの前でこっそり応援しているおじさんがたくさんいることをお忘れなく。頑張れ、ニッポン!!(記者コラム・藤山 健二)

続きを表示

2016年5月15日のニュース