葛西 絆の銅メダルに涙「僕にとって最高の五輪、満足」

[ 2014年2月19日 05:30 ]

団体の銅メダル獲得に涙を流した葛西

ソチ五輪ジャンプ男子団体 日本銅メダル

(2月17日)
 日の丸飛行隊がソチの空に輝いた。17日に団体が行われ、葛西紀明(41=土屋ホーム)を中心に清水礼留飛(20=雪印メグミルク)、竹内択(26=北野建設)、伊東大貴(28=雪印メグミルク)が結束。1回目に3位につけると2回目も順位をキープし、銅メダルを獲得した。日本が団体で表彰台に立つのは金メダルだった98年長野以来4大会ぶり。葛西のメダルはラージヒル個人銀メダルに続き今大会2つ目、通算では94年リレハンメルの団体銀メダルと合わせ冬季五輪日本選手最多に並ぶ3つ目となった。

 葛西がそっと伊東に歩み寄った。フラワーセレモニーに向かう行進のさなか、左足をひきずる後輩が列から遅れると、黙って肩を貸してほほ笑んだ。4人で手をつないで3位の表彰台へ。どの顔にも後悔や無念がまるでない。そこには気持ち良く戦い抜いたさわやかな笑顔だけが並んでいた。

 順位やメダルの色は関係ない。結果で優劣をつけるスポーツにおいて、ときに感傷的に過ぎる言葉に聞こえる。だが、誰よりもその色にこだわってきた男が言うなら話は別だ。「メダルの色は関係なくきょうはうれしい」。金メダルだけを求めて41歳まで飛び続けてきた葛西は、そう言ってはらはらと涙を流した。2日前の個人戦では銀メダルでも笑顔だったが、今回は感極まった。

 年齢、所属先の違いも乗り越えた同志として、苦しみを、そして喜びを分かち合った。先陣を切った清水は、葛西より21歳も若いチーム最年少の20歳。昨年末に不調でW杯メンバーを外れ、本人は五輪代表入りも危ぶんだ。それを葛西が「大丈夫だから」と無料通信アプリLINE(ライン)のメッセージで励まし続けた。晴れて夢舞台に立った若武者は初出場の重圧に負けず、1、2回目ともにグループ2位でチームに勢いをもたらした。

 試合後に血管の難病に苦しんでいることを告白した竹内とはW杯遠征でいつも同部屋だった。部屋でワインを傾け、ジャンプ談議を交わし、12月の遠征では病気で苦しむ姿を間近で見ていた。「択の病気を考えると涙が出ることもあった」。決して万全ではない中、竹内の必死のジャンプはチームの結束を強めた。伊東とは一番古い付き合いになる。以前は同じチームに所属し、今も仲良くゴルフに出かける。何でも話せる気が置けない関係。五輪直前に痛めた左膝裏が爆発寸前だった伊東も、ケガを恐れぬ気迫のジャンプでバトンをつないでくれた。

 「一緒にメダルを獲るならこいつらだなと思っていた。日本にいる時も一緒にごはんを食べて、どんちゃんして、心が通じ合った仲間。絶対にメダル獲らせてやりたかった」。1回目は2、6、2、3と推移した順位は、2回目が進むにつれて3位が濃厚となっていった。「上とは点差が離れているのは分かっていた。ここまできたら何色でもよかった」。最後のジャンプは貫禄の134メートル。W杯国別ランクで5位の日本より上位のスロベニア(3位)、ポーランド(4位)を上回った。悲願の金メダルではなかったが、駆け寄ってきた仲間の笑顔を見ればハッピーエンドに違いなかった。竹内は言う。「やっぱり葛西さんに尽きる。なんでこんなに優しいんだろうというぐらいに人に愛を与えまくるのが葛西さん」。

 日本にとっては98年長野大会以来の団体でのメダルとなり、葛西はその時の原田雅彦、船木和喜に並ぶ通算3個目のメダルを手にした。「あの頃とはジャンプ界のレベルが違う。長野で獲ったメダリストたちより価値がある。メダルの数よりも中身は僕が勝ってるんじゃないか」。長野でメンバー落ちした悔しさは、対抗心むき出しの言葉となっていまなお健在だ。優しいだけではない。この子供っぽい負けず嫌いも葛西の真骨頂だ。

 長野の団体戦が行われたのは98年2月17日。あれからちょうど16年がたった。仲間の金メダルを悔しそうに眺めた25歳の青年は、後輩に慕われる41歳のレジェンドとして日本をけん引した。「僕にとっては最高の五輪になった。満足してます」。晴れやかに言った葛西の7度目の五輪が終わった。

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