礼留飛 レジェンドから伝説継承!平昌はエースに!

[ 2014年2月19日 05:30 ]

銅メダル獲得に笑顔の清水

ソチ五輪ジャンプ男子団体 日本銅メダル

(2月17日)
 「日本スキーの父」の名を背負った清水がソチの夜空を飛んだ。斉藤監督から「若さで勢いをつけて」と託された斬り込み隊長役。「ミスしないように、と考えるのが普通だけど、リスクも背負わなければ金メダルを狙えない」。攻めの姿勢で1、2本目ともに同組2位の高得点。団体16年ぶりのメダルに貢献した20歳は「物凄くいい経験になった」と笑った。

 スキーの申し子だ。父・久之さん(53)は現役のスキー複合選手。約1世紀前に日本で初めて本格的なスキー指導を新潟県で行ったオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐と同じ名前を息子に付けた。漢字には「礼」儀正しく、悪いことがあっても踏み「留(とど)」まり、大空に「飛」んでほしい、という思いが込められている。

 新潟県妙高市の自宅は目の前がゲレンデ。清水は、よちよち歩きの頃からスキーで遊び、小1でジャンプを始めた。多忙な父と少しでも一緒にいたかった。父と同じ複合で活躍していたが、高校卒業前に「ジャンプの方が勝負できる」と転向を決意。父には「おまえは日本の複合を背負う立場だぞ」と大反対されたが「俺の人生だから俺に決めさせてほしい」と逆に説得。父を根負けさせた。W杯参戦実質2年目で晴れ舞台に臨んだ。

 忙しい父に代わり可愛がってくれたのは祖父・千久さん(享年77)だっ た。いつも応援してくれたが、一昨年5月に心筋梗塞で他界。この日はスタンドに久之さんらが遺影を携えて声援。祖父が亡くなる前に交わした約束は“オリンピックで金メダルを獲る”。誓いを果たす機会はこれから何度も巡ってくる。

 4歳だった98年長野五輪は現地にいた。「寒すぎて寝てたみたい」で記憶はおぼろげだが、葛西を通じて伝えられた日の丸飛行隊の伝統を継承していく。「僕が40歳まで飛べるか分からないけど、それに匹敵するぐらいインパクトのある選手になりたい」。18年平昌五輪でエースへの成長が期待される男が、伝説を生み出すのはこれからだ。

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2014年2月19日のニュース