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スペインも倒した森保ジャパン「時代は変わったんだな」 序章「ドーハの悲劇」終結

[ 2022年12月3日 05:10 ]

FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグE組   日本2-1スペイン ( 2022年12月2日    ハリファ国際スタジアム )

<日本・スペイン>試合終了の瞬間、ベンチから飛び出すイレブンの横で横内コーチと抱きあって勝利を喜んだ森保監督(撮影・西海健太郎)
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 12・1、日本が伝説を刻んだ。1次リーグE組最終戦で優勝候補のスペインに2―1で逆転勝利し、同組1位で決勝トーナメントに進出した。ドイツを破った初戦に続くW杯優勝経験国からの金星で、日本史上初となる2大会連続ベスト16入り。1点を追う後半に途中出場のMF堂安律(24=フライブルク)が同点弾、MF田中碧(24=デュッセルドルフ)が勝ち越し弾を決めた。5日(日本時間6日0時)の決勝トーナメント1回戦では、日本史上初のベスト8入りを懸けて前回準優勝のクロアチア(F組2位)と対戦する。

 残り1分くらいだっただろうか。森保監督の脳裏には、29年前の記憶がよみがえった。2―1から後半アディショナルタイムに同点に追いつかれてW杯出場を逃した、1993年の、あのイラク戦。だが、残像と現実は大きく異なっていた。

 「ちょうど選手が前向きにボールを奪いに行っていたところで、“時代は変わったんだな”と。“選手たちが新しい時代のプレーをしてくれているな”と思った」

 2―1のまま鳴った終了の笛が告げたのは、「ドーハの悲劇」の完全なる終結だった。そして、日本の新しい時代の幕開けだった。喜びの輪がほどけると、指揮官はホームのような空気を生んでくれた観客席に向かい、細かく角度を変えながら何度も礼を繰り返した。用具を運ぶ裏方のスタッフにまで自ら歩み寄り、抱擁した。

 「12・1」は、日本の歴史に残る日となった。初戦のドイツ戦白星は「奇跡」と称された。1度ならそう呼ばれてもおかしくない。だからこそ、ミーティングでは「スペインに勝って“必然だった”と示せるように」と送り出した。

 選手と議論を重ねて前半は守備ブロックを敷く戦いを選び、初めてスタートから5バックを採用した。1失点で耐えたハーフタイムには「プラン通り進んでいる」と伝え、後半頭から堂安、三笘の攻撃的カードを切った。前半のゆったりとした流れから一転、別物のようなプレスに慌てた相手のほころびを一気に連動して襲い、わずか3分で2点を奪って逆転。ドイツ戦に続いて交代策が的中した。

 ボール支配率は17%対74%。リードしてからは攻め込まれる時間が増えながらも、冨安、遠藤を投入して守備意識を高め、受け身にはならなかった。後半40分以降は1失点が敗退に直結する状況だった。ルイスエンリケ監督が最前列から鬼気迫る表情で指示を送る姿とは対照的に、自身は後ろで手を組んで後方から見守った。うなる会場で、腹の据わった「静」は恐ろしいほど際立った。選手を信じていられたからこその姿だった。

 前回ロシア大会の直前、日本協会は監督をハリルホジッチ氏から西野朗氏に交代した。実はこのタイミングで、田嶋会長の頭には森保監督が浮かんでいる。ただ、「(将来を)守るために」と採用を見送った。カタールを見据えて日本人監督の宝を守った決断が、4年半後に結実した。

 ドイツ戦の金星はフロックではなかった。日本人の森保監督が、日本人の組織力で証明した。「選手は新しい景色を見せてくれている。ベスト8以上の新しい記録をしっかりとつかみ取りたい」。悲劇から始まった序章は終わった。歓喜として語り継がれる本章が始まった。

 ▽ドーハの悲劇 1993年10月28日、カタールのドーハで行われたW杯米国大会アジア最終予選のイラク戦で、日本は終盤まで2―1でリード。初のW杯出場に迫ったが、後半アディショナルタイムにCKから同点とされて2―2で引き分けた。参加6チーム中サウジアラビア、韓国に次ぐ3位となり、W杯出場権を逃した。

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