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川淵三郎氏 オシム氏悼む「常に僕の立場を慮ってくれる人」“失言騒動”にも「謝ることはない」と

[ 2022年5月2日 12:31 ]

06年、日本代表監督就任会見で川淵三郎氏(左)と握手を交わすオシム監督
Photo By スポニチ

 元日本サッカー協会会長で現在も相談役を務め、Jリーグ初代チェアマンでもある川淵三郎氏(85=日本トップリーグ連携機構会長)が2日、同協会を通じて声明を発表。1日にオーストリアで死去したイビチャ・オシム元監督(享年80)を追悼した。

 06年当時、日本サッカー協会キャプテンとしてオシム氏を日本代表に招へい、急性脳梗塞で倒れた際には何度も見舞うなどした川淵氏は「オシム元日本代表監督の訃報に接し、心から哀悼の意を表します」とし、故人をしのんだ。

 「オシムさんとの最初の思い出は、大阪の長居陸上競技場で行われた東京オリンピック5・6位決定戦「大阪トーナメント」。相手のユーゴスラビアに長身ですらっとしていて、非常にうまいセンターフォワードの選手がいたのを印象深く覚えていて、後にな
ってオシムさんだったということを知った。素晴らしい選手だったから印象に残っているということはあるけれど、その人が42年後に日本代表を指揮したということは、やはり縁があったのかと思う」と振り返った。


 「最も思い出深いのは」としたのは「僕の"オシム失言"とオシムさんが脳梗塞で倒れた時」。「大きな期待を受けて出場したFIFAワールドカップドイツでグループステージ敗退となり、とにもかくにも日本のファンに謝りたいと思って記者会見に臨んだ僕は、質疑応答に入ったところでうっかり「オシム」と口にしてしまい、大きな非難を浴びた。その失言によって代表監督を引き受けてくれなくなるかもしれないと心配したが、オシムさんは「会長がそんなことでいちいち謝ることはない」ととがめることもせず、引き受けてくれた。常に僕の立場を慮ってくれる人だった」

 「2007年11月にオシムさんが倒れたという一報を聞いた時は本当にショックで、毎日祈るような気持ちだった。ドクターらの献身的な働きによって何とか一命をとりとめ、ようやく面会できることになり病院に伺うと、リハビリが終わろうとしているところ
だった。その時の僕への第一声は「こんなに(リハビリで)痛めつけられて『ありがとう』と言わなきゃいけないのは承服できない」。その時のいたずらっぽい笑顔が忘れられない」とつづった。
 最後に深い感謝の念をあらわした同氏。「チームに対して献身的なプレーをする選手を重用し、含蓄ある言葉でチームに大切な
ことを教えてくれた。ジェフユナイテッド千葉に「オシムイズム」を浸透させ、多くの日本代表を送り出す強いチームに成長させた。Jリーグ各クラブにとって「オシムイズム」をもう一度、思い起こす時なのではないだろうか。オシムさんの教えをもう一
度思い出し、強い日本サッカーをつくってほしいと思う。イビチャ・オシムという偉大なる人物にジェフユナイテッド千葉、そして日本代表を指揮してもらえたことは日本サッカーにとって大きな名誉だと思う。心から哀悼の意を表します」とした。

 なお川淵氏は自身のツイッターでも思い出をつづったうえで「オシムさんの訃報に接し心からお悔やみ申し上げます。日本サッカーの発展に多大な貢献を頂きました。有難うございました。歴代代表の中で殊の外思い出深い監督でした。64東京オリンピックでの選手同士の対戦。ドイツWC直後のオシム失言。南アWC直前脳梗塞の緊急事態。笑顔が素敵なオシムさんでした」と追悼した。

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2022年5月2日のニュース