×

【中村憲剛 特別手記】みんなに感謝、ひとりでは絶対にここまでやれてなかった

[ 2020年11月26日 05:45 ]

明治安田生命J1第29節   川崎F5-0G大阪 ( 2020年11月25日    等々力 )

<川崎F・G大阪>黄金のバスタブに入って優勝シャーレを持つ中村(撮影・篠原 岳夫)
Photo By スポニチ

 現役最後のシーズンを優勝で飾れて最高です!最後はピッチにも立てましたし、(大島)僚太がキャプテンマークを巻いてくれたときは、ちょっと泣きそうになりました。こんな幸せな40歳でいいのかと。みんなに感謝です!

 11月1日に引退を発表しましたが、その反響の大きさは想像をはるかに上回っていました。クラブに関わる人たちはもちろん、フロンターレに限らず他クラブのサポーターからも本当に温かい言葉を掛けてもらいました。その一言一言を聞いて「これだけの人に支えられてきたんだな」と、改めて強く感じました。 

 フロンターレに全てをささげてきた18年間は振り返るとあっという間でしたが、濃かった。17年の初優勝まではなかなか勝てず、苦しい日々の連続でしたが、今はそれすらも幸せな時間だったと感じるほどです。正直、途中で海外移籍を考えたこともありました。ただ踏みとどまり、いろんな人と歩んできた道のりは、全てに流れがありました。岐路に立ったときの判断は間違っていなかったですし、後悔も何一つありません。それもひとえに支えてくれた方々のおかげです。

 中でもやっぱり妻(加奈子夫人)の存在は大きかったです。常にそばで支え続けてくれました。何かあるたびに良い言葉を掛けてくれたのも彼女でした。「物事は変化があるから面白くて、終わりがあるから美しい」。これは、妻が子供たちに自分の引退を伝える手紙に書かれた言葉ですが、自分も妙に納得させられました。「そう思いながらずっと支えてくれてたんだな」と。自分ひとりだったら絶対にここまでやれてなかったですから。

 僕自身もサッカーをしている小6の息子へ「バトンタッチしよう。今度は君の番。全力でサポートするし応援する」と手紙で伝えました。そしたら小4の娘も含め、誕生日翌日の11月1日に手紙を返してくれたんです!本当にうれしくて涙が止まらなかったです。「ここまで考えられて、パパのことを書けるようになった」と成長を心から実感できました。彼らが引退をしっかり理解できる年齢までプレーできたのは本当に良かったと思いました。

 リーグ優勝はできましたが、まだ天皇杯が残っています。獲ったことのないタイトルで、今回は記念の100回大会。決勝の舞台は、選手としてプレーできる最初で最後のチャンスでもある新しい国立競技場です。全力で獲りにいきます! (元日本代表、川崎フロンターレMF)

 ◆中村 憲剛(なかむら・けんご)1980年(昭55)10月31日生まれ、東京都小平市出身の40歳。03年に中大からテスト入団で川崎F入り。06年から5年連続ベスト11入りし、16年には史上最年長でMVPに選出された。17年にリーグ制覇で初タイトルを獲得し、18年に連覇。昨年はルヴァン杯も初制覇。日本代表は06年にオシムジャパンで初選出され、10年W杯南アフリカ大会に出場。国際Aマッチは68試合6得点。1メートル75、66キロ。利き足は右。家族は妻と1男2女。

続きを表示

この記事のフォト

2020年11月26日のニュース