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お金がない…苦難の女子サッカー「成功は自己犠牲の上に成り立っている」

[ 2011年7月19日 06:00 ]

<日本・米国>初優勝を果たし、笑顔で記念写真に納まる日本イレブン

女子W杯決勝  日本2―2米国(PK3―1)

(7月17日 フランクフルト)
 なでしこジャパンの歴史は、華やかな男子とは比較にならないほど苦難の連続だった。初めて招集されたのは81年。当時、高校1年だった半田悦子氏(46=現常葉橘女子サッカー部監督)は「遠征費の一部を自己負担したこともある」と振り返る。指導者もボランティアが当たり前の時代で、自身も引退後は調理師免許を取得したほどだ。

 90年代に入り活動は本格化したが、環境は厳しかった。日本サッカー協会の川淵名誉会長は「当時は協会にもお金がなくてね。選手に何か必要なことは?と聞いたら、合宿の旅費を前借りできないか、と。女子サッカーの成功は選手の自己犠牲において成り立っている」と感慨深そうに振り返る。

 転機と言えば、2大会ぶりに出場権をつかんだ04年アテネ五輪。そのとき、日本協会の女性職員から「愛称公募」の提案があった。2700通の応募の中から選ばれた愛称が、今や世界に通用する「なでしこジャパン」のはじまりだった。日本女性の芯の強さや、ひたむきさがチームに宿るようにとの願いが込められている。

 もちろん、発展途上だ。国内トップの資金力を誇る浦和でもプロ契約は3人。北京五輪にも出場した元日本代表FW荒川は今もスーパーのレジ打ちの仕事を続けている。「北京五輪4位で徐々に環境は良くなった。今回で、もっと良くなれば…」。女子サッカー界の切なる願いを代弁していた。

 ▼日テレ・野田朱美監督(41) 選手たちが本当に頑張っていたので、優勝できて良かったです。これまで多くの女子選手が積み上げてきたものを、結果につなげてくれた後輩たちを誇りに思います。それでも、ここがなでしこジャパンにとって新たなスタート地点だと思いますので、立ち止まることなく、まだまだ上を目指してほしいです。また、これをきっかけに、なでしこを目指す選手たちがますます奮起し、女子サッカー全体がレベルアップすることを期待しています。(元女子日本代表MF)

 ▼小野寺志保(37) 夢を見ているみたい。本当に感動して大号泣してしまいました。沢は中1の時から知っていますが、よく言っている「夢は見るものじゃなくてかなえるもの」という言葉を実現させましたね。やるやるとは思っていたけど、ここまでやるかと見せつけられました。小さい時から岸野さん(現J2横浜FC監督)や川勝さん(現J2東京V監督)相手に「チッキショー」「こんにゃろー」と本気でボールを奪いにいく子でした。沢だけでなく、戦った選手、スタッフ皆におめでとうとありがとうを言いたいです。(元女子日本代表GK)

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2011年7月19日のニュース