“バラードの女王JUJU”誕生秘話 プロデューサー明かすカラオケでの一場面「歌だけで涙させることが」

[ 2023年12月3日 13:29 ]

歌手のJUJU
Photo By スポニチ

 歌手のJUJU(年齢非公表)が2日放送のTBS「人生最高レストラン」(土曜後11・30)にゲスト出演。“バラードの女王”誕生秘話が明かされた。

 高校卒業後、歌手を目指し、単身で米ニューヨークへ渡ったJUJU。知り合いなどは全くいなかったといい、「ニューヨークに行ったらどうにかなる気がする、っていう何の根拠もなかったんですけど」と笑った。

 2004年に「光の中へ」でCDデビュー。連続で2枚のシングルを発売したが「誰にも届かなくて」。そこから2年間、曲を作り続け、「最後の1枚を出しましょう」となってリリースされたのが「奇跡を望むなら...」。2007年のUSEN年間総合チャートで1位を獲得するなど大ヒットした。

 当時、JUJU自身は「JUJUはバラードじゃない!」と思っていたという中で、リリースされた1曲。プロデューサーである木村武士氏が番組にコメントを寄せ、この曲をリリースした理由を明かした。

 木村氏は「デビュー当時は2人でよくお酒を飲みに行くことがありました。その時にはまだJUJUだと知られていない状態でしたので、ある時、女の子ばかりがいたカラオケでJUJUが歌った曲で、そこにいる女の子が全員おいおいと涙したことがありました。初対面の人たちなのに、歌だけでこんなに涙させることができるのだったら、日本中をJUJUの歌声で涙させることもできるのではないか、そう思ったのがバラードへのトライの根底に思っていたことでした」と“バラードの女王”のきっかけを説明。「また次にリリースする楽曲がラストチャンスといった覚悟もありました。ラストチャンスと覚悟した時にこの『奇跡を望むなら...』という言葉にアーティストの説得力が重なることができたと思います」とした。

 JUJUも「本当に確かに『奇跡を望むなら...』を聞いた方からお便りをいただいたりして。それまでJUJUを聞いてくださる方がいらっしゃるなんて、全然わからなかったし、お便りとかに“癒やされました”とか書いてあって、どう見ても癒やし系がじゃない人生なので、“癒やされました”って言われたのがあまりうれしかった」と回想。「私が“JUJUはこうだ!”って決めつけていたことって、本当に愚かなことだなと。私が思っていることをやるんじゃなくて、聞いてくださる方がいて、歌えることってこんなにうれしいんだなって。だったら、私は、これから先、聞く人が聞きたいと思うものを歌う人でありたい、と考え方がガラッと変わった。それを続けていたら、ファーストアルバムにつながった」と懐かしんだ。

続きを表示

「美脚」特集記事

「STARTO ENTERTAINMENT」特集記事

2023年12月3日のニュース