神田沙也加さん 松田聖子と確執と修復を繰り返す 2世タレントの中でも特別な親子

[ 2021年12月20日 05:30 ]

神田沙也加さん死去

神田沙也加さん
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 18日に急死した神田沙也加さんは、2世タレントの中でも特別な存在だった。「聖輝の結婚」と言われた、松田聖子と神田正輝の一粒種。生まれた時から芸能マスコミに注目され、常にプレッシャーと隣り合わせの人生だった。特に聖子とは確執と関係修復を繰り返し、愛憎半ばする関係だったが、聖子にとってはどんなときでも最愛の存在だった。

 聖子と沙也加さんは、ときに「一卵性母娘」と呼ばれる仲むつまじさを見せたかと思えば、しばしば深い溝をつくることもあった。理由はさまざまだが、聖子は沙也加さんにとって最も苦悩をもたらした存在だった。だが、聖子にとってはいつだって最愛の娘だった。

 沙也加さんの芸能界入りを最初は反対したのも、芸能界の厳しさを知り尽くしているからこそ。2001年にデビューすると「やるとなったら、私が守っていかなくては」と話すなど母親の顔を見せていた。ただ芸能関係者は「聖子さんは成功者として娘を本気で守りたいがために、時には沙也加さんがやりたいことに反対もしてきた」と話す。

 しかし、恋と仕事に突き進む「松田聖子」の影はついて回った。出産、離婚後も歌手活動を継続し「ママドル」と呼ばれた聖子と共に転校を繰り返すなど、多感な時期を翻弄(ほんろう)されながら過ごした沙也加さんに、その真意が伝わらないことも多くあった。

 05年に沙也加さんが離婚歴のあるギタリストと交際を始めた際には、聖子は猛反対。沙也加さんは「ママは好き勝手やっているのになぜ私はダメなの」と猛反発し、家出した。

 その後の確執は深く、沙也加さんは芸能界引退を選ぶ覚悟だったが、伯父が「人生何があるか分からないから休止という形にしなさい」と諭し、踏みとどまった経緯がある。

 07年には同居生活を明かしたり、11年のNHK紅白歌合戦では母娘デュエットを披露。歌唱中に2人で見つめ合い、顔を寄せ合うなど、仲良しぶりを見せつけたこともあった。

 沙也加さんも成長とともに母の気持ちを理解し、良好な関係に落ち着くかと思われたが、再び関係のほころびが浮上したのが17年。沙也加さんが聖子の知的財産を管理する所属事務所「ファンティック」から独立し、俳優の村田充(44)と結婚。聖子は祝福コメントを出さなかった。テレビ局関係者は「それ以降、表立った関係修復は見られないままだった」と話す。そんな中、突然の別れ。「聖子さんはさぞ無念だろう」(同関係者)

 沙也加さんがデビューした際、聖子は「やっぱり親子という感覚でしかなくて、ただただ親が子供のことを心配しているという状態」と話していた。レコード会社幹部は「さまざまな苦難を乗り越えてきた聖子さんだが、愛娘を失った精神的ダメージは想像を絶するもの」と話している。

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