荻野目洋子 アイドル時代は戸惑いも「皆さんキレイな方ばっかり」「必死でした」

[ 2020年8月24日 16:52 ]

歌手の荻野目洋子
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 歌手の荻野目洋子(51)が24日、NHK「ごごナマ」(月~金曜後1・05)に出演し、アイドル時代から再ブレークまでの心境を語った。

 1980年代のアイドル黄金期にヒット曲を連発し、歌って踊れるアイドル界の先駆者になったが、当初は戸惑いもあったという。荻野目は「深く考えずにデビューが決まってふたを開けてみたら、周りの皆さんキレイな方ばっかりで…いやどうしようみたいな。当時はメイクも自分でしなきゃいけない時代なので、(メイクを)勉強したりして必死でした」と振り返った。

 「同期は菊池桃子ちゃんとか、吉川晃司さんとか。本当にたくさんの歌手の方が毎年生み出されていた時代なので、正直言って他の人のことを考えてられないくらい必死でしたね」と荻野目。当時は3カ月に1曲のペースで新曲をリリースする時代で、高校生の荻野目は学業との両立に四苦八苦だったという。

 「家に帰ったら寝るだけだったし、毎週キャンペーンで地方にも行っていましたし、忙しかったですね。毎回新しいものを取り入れなきゃいけないので、その練習もありますし」と回顧。「それでもテレビに出ることでたくさんの方に『良かったよ』と言われると、やっぱり凄くうれしくて。生で歌う機会も多く、今よりももっと緊張感があったし、ドキドキしながら感動を毎日味わえるっていうような感じでした」と打ち明けた。

 2001年に結婚し、3女の母である荻野目。育児に専念していた時期を経て、17年に大阪府立登美丘高校のダンス部が、バブル時代をほうふつさせる装いで自身のヒット曲「ダンシング・ヒーロー」に乗せた踊ったことで再ブレーク。登美丘高校のダンス部と一緒に紅白歌合戦のステージに立った。

 荻野目は「再びこんなふうに皆さんに注目されるとは思っていなくて。皆さんプロフェッショナルで物凄いんです。私自身も凄く刺激を受けました」と明かしたうえで、「一緒に披露した頃、自分の娘は高校受験くらいだったんです。(ダンス部の皆さんと)ほぼ2年くらいの違いですから親子ですよね」と、時折母の顔ものぞかせながら語っていた。

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