赤木春恵さん 94歳 天国へ「最期は眠るように」

[ 2018年11月30日 05:30 ]

赤木春恵さん
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 「渡る世間は鬼ばかり」「3年B組金八先生」など数々の人気ドラマでお茶の間に親しまれた女優の赤木春恵(あかぎ・はるえ、本名小田章子=おだ・あやこ)さんが29日午前5時7分、心不全のため東京都府中市の病院で死去した。94歳。旧満州(中国東北部)出身。芸能界で「お母さん」「ママ」と慕われた赤木さんの悲報は、“渡鬼ファミリー”はじめ関係者を悲しみに包んだ。

 日本のお母さんが静かにまぶたを閉じた。府中市の自宅前で長女の野杁(のいり)泉さんが報道陣に対応し「最期は眠るように亡くなりました」と臨終の様子を明かした。

 赤木さんは2015年9月に自宅で転倒して左大腿骨を骨折。近所の個人病院で療養生活に入り、たまに自宅に戻ってくる生活を続けていた。1カ月ほど前から日に日に階段を下りていくように衰えていった。「ただ愚痴や文句は一切口にせず泰然自若としていた」と泉さんは語った。

 昔のことを話すことが多くなっていたそうで、12年11月に92歳で亡くなった親友の森光子さんの話も出てきた。満州時代に出会って以来、「ソウルメート(魂の友)」と呼ぶほどの仲良しだった。

 泉さんが10月31日に病室を訪れると「今ね、みっちゃん(森さん)が“あやちゃん”って来たの」とうれしそうに明かす。「どんな話をしたの?」と聞くと「潮を吹く魚の話をしたの」と話したという。森さんとハワイでクジラを見た時の思い出だったかもしれないと泉さんは推測した。相撲を液晶テレビで見るのが好きで、遠藤と貴源治がお気に入り。面食いだった。弔問した関係者によると、赤木さんは「やつれるようなこともなく本当に奇麗な顔だった」という。

 赤木さんは40年に松竹に入社。43年に大映に移籍。45年に退社して慰問団に参加し、満州各地を巡業。46年10月に帰国して大映に復帰した。47年には東映プロデューサーの小田賢五郎氏と結婚し、これを機に東映に移籍。59年にフリーとなり、森繁久弥さん主催の森繁劇団に参加した。

 次第に舞台やドラマに重心を移し、79年には「3年B組金八先生」に校長役で出演。橋田寿賀子さんの脚本作品や石井ふく子さんのプロデュース作にも多く出演。90年に始まった「渡る世間は鬼ばかり」での「小島キミ」役は当たり役となった。07年に乳がんが見つかり、左乳房の全摘出手術を受けるために休んだことはあったが、13年まで出演した。

 87歳だった11年6月、「いつご迷惑を掛けるか分からない」と舞台からの引退を宣言。13年には映画「ペコロスの母に会いに行く」(監督・森崎東)に参加し、撮影初日時の「88歳175日」が最高齢主演女優としてギネスに認定された。

 泉さんによれば、赤木さんは「こんなに長く行方不明になっていたら(表舞台から消えていたら)誰もお葬式に来なくなっちゃう」と話していたそうだが、大勢の後輩に慕われた芸能界のママ。その心配は杞憂(きゆう)に終わりそうだ。

 ◆赤木 春恵(あかぎ・はるえ=本名小田章子=おだ・あやこ)1924年(大13)3月14日生まれ、旧満州出身。NHK「となりの芝生」「おんな太閤記」など100本以上のドラマや舞台に出演。講演活動なども行った。87年菊田一夫演劇賞。93年紫綬褒章、98年勲四等宝冠章。14年毎日映画コンクール女優主演賞。

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