ドラゴンボール歌手 再ブレイク前は年収7万円、観客は5、6人だけ

[ 2018年5月22日 14:38 ]

歌手・影山ヒロノブ
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 歌手の影山ヒロノブ(57)が22日、フジテレビ「ノンストップ!」にVTR出演。16歳の時にバンド「レイジー」を結成、ブレイクしたが3年後に解散。アニソン歌手として再ブレイクを果たすまで送っていたどん底生活を激白した。

 今年デビュー40周年を迎える影山。「レイジー」の解散は「音楽性の違いですね。もうガッチガチのヘビーメタルをやりたい2人と、もうちょっとキーボードとか入ってるソフトなロックをやりたい3人とで…」と当時を振り返り説明した。

 レコード会社や事務所との契約解除後、ノーギャラでライブに出演したが「(年収)7万円でしたね。カラオケで歌うような仕事を1本くらい。(観客数は)最低の時だと5、6人の時がありますね」と笑いながら語った。ライブだけではもちろん食べて行けず、合間に建築現場でアルバイトするという生活がおよそ5年間続いたことも明かした。

 元「レイジー」メンバーの内2人が、ヘビーメタルバンド「ラウドネス」で世界で活躍するようになり影山は「同じように東京に大阪から出てきて、同じようにレイジーっていう時間を過ごしたのに、曲も作れない、詞も書けない無力な自分とあとの4人を比べた時が1番惨めだったですよね」と辛かった心境を話した。

 しかし80年代、アニソン界のトレンドがロック調に変わると「時代が変わっていって、ヒーローとかの音楽もどんどんロックになってきた。ロックシンガーが欲しいって思ったときに、探した時に目についたのが俺だったらしいです」と転機が訪れ、アニメ「聖闘士星矢」のオープニングを任された経緯を振り返った。

 その後徐々にアニソン歌手としての地位を確立。1989年にアニメ「ドラゴンボールZ」の主題歌「CHA−LA HEAD−CHA−LA」に抜てきされ、影山は「ドラゴンボールの1回目、初回のテレビの放送でオープニング。もう正座してみるくらいだったんですけど、涙がでるくらい感動しました」と笑いながら語り、「海外っていうのも「CHA−LA HEAD−CHA−LA」のおかげで、自分のとこにそういう無理だと思ってた夢まで訪れました」と話した。

 現在アジア・北中南米・ヨーロッパなど12か国を訪問。2003年からは世界各地5か所以上の「ANISON」イベントに参加するなど人気を誇っている影山を見て、番組MCの設楽統(45)は「自分の5年後10年後どうなってるかっていうのはわからないですよね」とコメントした。

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2018年5月22日のニュース