「包丁人味平」ビッグ錠氏 紙芝居で伝える戦争の理不尽さ

[ 2017年8月15日 09:00 ]

紙芝居「風のゴンタ」を逗子文化プラザホール(神奈川県逗子市)で上演した漫画家のビッグ錠氏
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 15日は72回目の終戦の日。悲惨な戦争体験を紙芝居にし、次世代に伝える試みを始めた漫画家がいる。元祖グルメ漫画「包丁人味平」で知られるビッグ錠氏(77)は14日、自身が体験した大阪空襲などを16枚の絵にした物語を、神奈川県の逗子文化プラザホールで上演した。「キナくさい時代。僕なりにやれることをやっていきたい」と話している。

 紙芝居の前に集まった人たちに、ビッグ錠氏は空襲の思い出を話した。終戦を迎えたのは5歳のとき。大阪市旭区に住んでいたといい、今も「8月になると空襲のトラウマか、落ち着かなくなる」と語った。

 「警報が鳴ると、家の防空壕(ごう)に入った。夏の暑い時季でも、それとは違う高い地熱のようなものを肌で感じた」。大阪空襲は50数回行われ、最後の爆撃は8月14日。戦争が終わった安堵(あんど)感は忘れない。「あの夜は、親戚の家まで逃げた。その翌朝、大人たちが“戦争が終わった”と話すのを聞き、子供心にホッとした」という。

 紙芝居は大阪空襲と、焼け野原の大阪を描いた「風のゴンタ」。1988年に漫画誌「月刊ベアーズクラブ」(集英社)で発表した読み切りを紙芝居用に描き直した。サツマイモばかりの食事やアカだらけの銭湯など、貧しい暮らしの中でたくましく生きる少年たちが印象的。戦災孤児の不良少年が背負う悲劇など、戦争の理不尽さなどを描いた。16枚の絵をめくり、話し終えたビッグ氏に、大きな拍手が送られた。

 ビッグ氏は近年、ミュージカル劇団を主宰するなど、在住する神奈川県藤沢市を中心に地域のイベントに積極的に参加。そんな中で戦争の風化を感じてきた。「今や戦争を知らない団塊世代が定年になる時代。我々の世代も、すぐにいなくなる。若い人に伝えなくてはいけない」との思いを強くしていた。

 紙芝居を選んだのは、ミュージカルで知った客の目の前で表現する楽しさから。「漫画と舞台の融合を考えたら、紙芝居になった。戦後の焼け跡でもよく見たしピッタリ」と、今回の上演に至った。

 ここ10年ほど商業誌での作品発表を控えているが「紙芝居ならまだ描ける」と、ペンに込める情熱に衰えはない。「8月14日は毎年、全国のどこかで紙芝居をやりたい」と力を込めた。9月下旬には故郷大阪でも上演する予定だ。

 ◆ビッグ錠(びっぐじょう)1939年(昭14)10月17日、大阪市生まれ。56年、高2で貸本漫画「バクダンくん」でデビュー。漫画家を1度やめ、デザイナーを経て68年再デビュー。71年「釘師サブやん」、73年「包丁人味平」がヒット。「スーパーくいしん坊」「一本包丁満太郎」など料理漫画を中心に、職業漫画を多く描いている。「ドクロ坊主」などギャグ漫画もある。

 ▼包丁人味平 1973〜77年、週刊少年ジャンプ(集英社)で連載。原作は牛次郎氏。料理をメインにした初の漫画とされる。日本料理の名人・塩見松造の息子、味平が主人公。高校受験に合格したが、入学せずに家を飛び出しコックになるところから物語が始まる。さまざまな料理勝負を通じ、料理人として成長していく。料理人と勝負を重ねる形式は、後のグルメ漫画のひな型となった。スパカレーや、つけ麺など、時代を先取りするような料理も登場。86年、故横山やすし氏と木村一八父子でドラマ化。

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