作曲家・船村徹氏が急死 「王将」など5000曲 歌謡界から初の文化勲章

[ 2017年2月17日 11:04 ]

作曲家の船村徹氏
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 「別れの一本杉」「王将」など日本歌謡史に残る名曲を多数残し、昨年文化勲章を叙勲した作曲家の船村徹(ふなむら・とおる、本名福田博郎=ふくだ・ひろお)さんが16日午後0時35分、心不全のため、神奈川県藤沢市内の病院で死去した。84歳。栃木県出身。通夜は22日午後6時から、葬儀・告別式は23日午前11時から、いずれも東京都文京区大塚5―40―1、護国寺で執り行う。喪主は長男で作曲家、編曲家の蔦将包(つた・まさかね)さん。

 昨年5月に心不全と診断され、心臓弁置換手術を受け、自宅で療養生活を送っていた。関係者によると、16日に自宅で過ごしていたところ容体が急変し、帰らぬ人となった。手術の影響で、毎年6月12日に行う恒例の「歌供養」を取りやめていたが、その後は回復を見せ、先月18日に都内で行われた文化勲章を祝う会でも、元気な姿を見せたばかりだった。

 1932年生まれ。東洋音楽学校(現東京音大)ピアノ科卒業。在学時に米軍キャンプでのバンド活動を経て作曲活動を開始した。53年に雑誌「平凡」のコンクールで1位入選し、作曲家デビュー。盟友の作詞家高野公男さんとのコンビで「大衆に根ざした音楽を作ろう」と、歌謡界に新たな曲調を持ち込んだ。村田英雄さんに提供した「王将」は、日本初のミリオンセラーになった曲といわれる。幅広い年代にわたり名曲を発表し続け、書き上げた作品は5000曲以上。83年に細川たかし「矢切の渡し」、91年に北島三郎「北の大地」で日本レコード大賞を受賞。97年には日本作曲家協会の会長に就任。04年には日本音楽著作権協会(JASRAC)会長を歴任した。昨年の文化勲章は、歌謡界から初めての受章となった。

 演歌界の大御所、北島三郎(80)をはじめ門下生も多数育成。鳥羽一郎(64)らをスターにした。

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