辻発彦氏 西武入りの決め手はボテボテの二ゴロ? 「それがなかったらどうだったか…」

[ 2024年4月13日 20:05 ]

辻発彦氏
Photo By スポニチ

 前西武監督で本紙評論家の辻発彦氏(65)が13日、TBSラジオ「ナイツのちゃきちゃき大放送」(土曜前9・00)にゲスト出演し、プロ入りのいきさつを語った。

 佐賀県出身で、佐賀東から日本通運浦和入り。83年のドラフト会議で西武から2位指名を受けて入団した。

 パーソナリティーの「ナイツ」塙宣之から「社会人時代にすごく活躍したんですか?」と尋ねられると、「そうでもないんですけど…」と返答。「その前の年、23、24(歳)くらいでも話がいっぱいあったんですけど、腰を痛めたりしていたので、断っていたんですよ。自信もなかったし。たまたま24の時に腰痛めたんで、断って、それでプロには行くのをやめようという気持ちだった」と、プロ入りには消極的だったという。

 それでも、体を鍛え直して翌シーズンもプレー。「そこで、西武からそれでも声をかけていただいていたので、ちょっとギャンブルに出ましたよ」と、プロで勝負する決断をしたことを明かした。

 社会人時代の守備位置は、ほぼ三塁手が定位置で、時々遊撃手。しかし、西武のスカウト陣からは、二塁手として白羽の矢を立てられていたという。辻氏は「都市対抗の時、当時の後楽園で1試合しかやったことがなかったんです。ずっとサードをやっていました。ショートとサードをやってました。セカンド、一度も経験なかったんですよ」と、驚きの事実を明かした。

 当時の西武の守備陣事情も関係していたという。「セカンドが山崎(裕之)さんという方がやられていて、結構ベテランの方だったので、殺し文句はそれですよ。“山崎の後は辻で”となったらしいです。セカンド、1試合やっただけですよ?たまたま前にボテボテって来たやつをパパーンってアウトにしたら、“辻、セカンドできるじゃないか”ってなったらしいです。それがなかったら、どうだったか分からないですね」と打ち明けていた。

 辻氏はその後、ベストナインを5回、ゴールデングラブ賞を8回、受賞。守備の名手として西武の黄金時代を支えた。

続きを表示

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2024年4月13日のニュース