浦和学院、8年ぶり初戦敗退 森士監督の最後の夏が終わる 涙の選手に「負けても、堂々と前を向け」

[ 2021年8月22日 05:30 ]

第103回全国高校野球選手権2回戦   浦和学院3-4日大山形 ( 2021年8月21日    甲子園 )

<日大山形・浦和学院>試合に敗れ、落胆するナインに声をかける浦和学院・森監督(左から3人目)=撮影・河野 光希
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 名将にとっての甲子園49試合目は、あと1点が遠かった。3―4の9回2死満塁。一打逆転の場面で浦和学院の4番・吉田瑞樹主将(3年)は遊ゴロに倒れた。8年ぶりの初戦敗退。最後の采配となった森士監督は、泣きじゃくる選手に向け、言った。

 「負けても、堂々と前を向け」

 1点差まで食い下がったが及ばなかった。指揮官は「甲子園で1勝する厳しさを思い知らされた試合だった」と実感を込めた。

 91年、監督に就任。カメラマン席にボールを投げる、やんちゃな選手たちと向き合うことから始まった。

 上尾高時代の監督で、浦和学院を率いた恩師・野本喜一郎元監督(享年64)の遺志を受け継ぎ、厳しい指導を貫いてきた。30年間で春夏合わせて22度、甲子園出場。13年センバツでは2年生エースの小島(現ロッテ)を擁し、初の頂点に立った。通算成績は28勝21敗。思い出の試合を問われると「甲子園のどの試合も自分の中では財産だった」と言った。

 7月28日。埼玉大会を制した直後、優勝インタビューで今夏限りでの退任を公表。4番兼捕手兼主将を担い、森監督から「監督代行」と全幅の信頼を寄せられていた吉田瑞は「厳しさの中に愛情があった。一日一日が、監督と過ごしてきた日々が、全て思い出です」と感謝した。

 現野球部長の長男・大氏が後任を務める。森監督は「いつかまた、大観衆が戻ってきた甲子園で高校球児がプレーすることを望んで終わっていきたいと思います」と切なる願いを口にし、聖地を去った。(川島 毅洋)

 ◇森 士(もり・おさむ)1964年(昭39)6月23日生まれ、埼玉県出身の57歳。現役時代は上尾、東洋大で投手としてプレー。91年秋から浦和学院の監督を務め、13年センバツで初の日本一に輝くなど、春夏合わせて22回の甲子園出場に導く。同校の副校長も務めている。

 ≪ナインもOBも感謝≫
 ▼吉田匠吾(3年)これまで育ててもらった先生にどうにか勝たせたい(一心で)、一緒に勝ちたかった。自分たちの力不足。

 ▼金田優太(2年)監督のおかげで何回も勝てた試合があった。最後は自分たちで勝ちきりたかった。

 ▼宮城誇南(2年)コロナの時からたくさんお世話になった。どんなときも厳しく優しく親身に教えてくれた。

 ▼ロッテ小島(浦和学院OB。13年センバツで2年生エースとして全国制覇)このコロナ下で試合ができたことに感謝して、選手には次のステップに進んでもらいたいし、監督にはお疲れさまでしたと言いたいです。

 ▼DeNA木塚投手コーチ(95年度卒OB)投手として未熟だった自分に一から教えてくれた最大の恩師だと思っています。一試合でも多くユニホーム姿を見たかったのが本音ですが、まずはゆっくりお体を休めていただければ。

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