【内田雅也が行く 猛虎の地】陛下のご快癒祈った村山実 「ファウルだ」と言った「昭和魂」

[ 2020年12月7日 11:00 ]

(7)坂下門・皇居前広場

59年6月25日の天覧試合で、サヨナラ本塁打を浴びた阪神・村山

 阪神監督だった村山実が朝、監督付きマネジャーだった野田征稔に「行くぞ」と声をかけたのは1988(昭和63)年9月29日だった。東京ドームでのナイター巨人戦に備え、東京遠征の定宿、サテライトホテル後楽園に宿泊していた。

 向かった先は皇居・坂下門だった。昭和天皇のご容体が10日前に急変、ご重体とも伝わっていた。ご快癒を願う記帳所が設けられていた。

 皇居前広場には列ができていた。一般記帳開始の午前9時で約400人が並んでいた。当時の新聞によると村山は9時7分に記帳を行っている。

 野田は「行くぞ、と言われ、ピンときませんでした」と話した。村山は当時、遠征先で自ら「少年隊」と名づけた若手、大野久、和田豊、中野佐資らの早出特打での打撃投手を務めていた。その時刻にしては早く、記帳所と聞いて納得した。「村山さんの天皇陛下への思いは相当でした。あの試合が自分の原点だと思っておられましたから」

 関大から入団1年目にあった天覧試合である。昭和天皇が初めてプロ野球をご覧になられた59年6月25日、後楽園球場での巨人―阪神戦である。

 村山は9回裏、長嶋茂雄にサヨナラ本塁打を浴びる。プロ野球史上あまりにも有名なシーンである。左翼線審・富沢宏哉が右手を回し、本塁打と判定するのを見ると、村山はうつむきながら三塁ベンチに歩んだ。目の前を本塁へ向かう歓喜の長嶋が駆けていった。

 村山は後に「一生をかけて、この悔しさを晴らしたい」と語っていた。長嶋を終生のライバルと定め、打倒巨人を誓い、自らを高めていった。

 「あれはファウルだった」と言い出したのも実は後からだ。遊撃を守っていた吉田義男は「村山はファウルだなんて言うてませんでした」と話す。捕手・山本哲也や頭上を越える大飛球を見送った左翼手・西山和良も皆「ホームランだった」と証言していた。村山は「ファウルだ」と自らに信じこませ、糧としたのだろう。今はそう思う。「昭和魂」か。熱血漢の反骨精神を思う。

 祈りも届かず昭和天皇は崩御され、年号が平成と変わった89年の6月25日。天覧試合からちょうど30年目の巨人戦(甲子園)。岡田彰布の逆転満塁本塁打で阪神は劇的勝利をおさめた。スコアも同じ5―4だった。

 村山は試合前「え? 今日はあの日か!?」と気づいていなかった。前年からバース問題、球団代表の自殺、掛布引退……と苦悩の日々が続き、チームも低迷していた。目の下の隈(くま)は深かった。試合後は久々の笑顔を浮かべ「今日はうれしい。気分が全然違う」と喜びをかみしめた。 =敬称略= (編集委員)

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