【内田雅也の追球】「威厳」のある負け方 敢闘精神欠く凡プレーが見えた阪神への檄文

[ 2020年7月2日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神3-6中日 ( 2020年7月1日    ナゴヤD )

<中・神(2)>4回2死一塁、阿部の三ゴロで、、マルテ(右)は二塁に悪送球し勝ち越し点を許す(撮影・椎名 航)
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 阪神には残念な、あまりにも残念なプレーが相次いだ。言葉を選ばずに書けば、怠慢プレーである。

 4回表2死一塁、ジャスティン・ボーアは一、二塁間へゴロを放ち、力を抜いて走った。二塁手・阿部寿樹が追いつくのが見えると速度を落とした。阿部がお手玉し一塁送球がそれた。最後までだらだら走りセーフ。何とも恥ずかしい出塁で一塁に立った。いや、ボーア本人は何とも思っていないかもしれない。

 打ったら力走する。全力疾走など当たり前のことだ。だが、その凡事を徹底するひたむきさこそ、監督・矢野燿大やチームが大切にしてきた姿勢ではなかったか。

 外国人だからいいのか。そんな考えだと絶対に勝てるチームなど作れない。かつてランディ・バースは「なぜガイジンのバースなんだ。どうしてタイガースのバースと呼んでくれないんだ」と訴えた。助っ人ではなく、チームの一員として認めてほしいという願いは団体競技の本質を突いていた。

 9回表に1号アーチが出たボーアが本当に「バースの再来」となるには力走は欠かせない。

 もう一つはその裏の守り。1―1同点とされた直後の2死一塁、阿部の三ゴロをさばいたジェフリー・マルテが二塁送球が乱れた。悪送球だ。

 問題は右翼手・糸井嘉男である。送球は二塁手・糸原健斗にも触れずに抜けた。糸井のバックアップは遅く、ボールは右中間寄りを転々。一塁走者の生還を許した。これが決勝点となった。

 矢野は「それ(バックアップ)は、なかなか間に合わへん」と話したそうだ。決して糸井の怠慢ではないと語っている。そうなのかもしれない。

 ただし、問題はそんな一つ一つのプレーではない気がする。今の、特にこの夜の阪神には相手に立ち向かう敢闘の姿勢が伝わってこなかった。

 ベンチ内でテレビ画面に映る矢野の表情が暗かったのも気にかかる。

 負けてもいいのだ。問題は負け方なのだ。

 この夜の試合を球場には行けず、全国でテレビやネット中継を見ている阪神ファンに見せられるだろうか。そして堂々と戦ったと胸を張れるだろうか。

 阪神はコロナ禍での高校野球甲子園大会中止を受け、全国に約5万人いる3年生の高校球児に甲子園球場の土を贈る。すばらしい行いである。現に全国の球児たちから相当に感謝された。彼らは見ている。今の戦いぶりを見せられるだろうか。

 本来、夏の高校野球は「負けたら終わり」のトーナメント戦だ。優勝校を除き、誰もが等しく一度負けて終える。彼らが目指すのはつまり「いかに負けるか」なのだ。

 「スポーツは公明正大に勝つことも、威厳をもって負けることも教えてくれる。人生ってやつを教えてくれるんだ」

 2日が命日の文豪アーネスト・ヘミングウェーの言葉である。作家・山際淳司が著書で引用していた。威厳をもった敗戦とは何だろう。胸に手を当てて考えたい。

 ヒントを書く。「野球は勝者ばかりが何かを得るもんでもないんです。敗者にも得るものはあります。ただしそのプレーヤーの姿勢ひとつですが……」。伊集院静の『2ポンドの贈りもの』=『駅までの道をおしえて』(講談社文庫)所収=にある、アマチュア野球指導者の言葉である。

 「悔いのないように戦ってこいと教えますが、実際のプレーには悔いは残ります。いや悔いだらけです」。しかし、野球が好きな同僚や相手、見ている人びとがいる。「その人たちに恥じないプレーをしろと。そのためには誇りを持ってプレーをしなくてはならないんです。敗れても誇りがあれば大丈夫です。(中略)これが野球の誇りかもしれないと実感できる敗戦があるものです」

 今季11試合を終え、早くも3度目の3連敗。勝率はついに1割台となった。正確には1割8分2厘で、120試合制で99敗ペースだ。

 どん底で暗く沈むなか、高校球児を思いたい。威厳を持ち、誇りを感じる試合を重ねていきたい。愛する野球のために。=敬称略=(編集委員)

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