失われた球場跡地巡り③ 大阪球場

[ 2020年6月25日 05:30 ]

都会のど真ん中に存在した大阪球場
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 あの球場は今―― 大阪編集局報道部の新人記者が、関西の「ロスト・ボールパーク」を巡ります。第3回は南海ホークスの本拠地だった大阪球場の跡地を、田中想乃が訪れた。

 南海・難波駅から歩くこと約10分。スマートフォンの地図が示す「大阪球場(正式名称は大阪スタヂアム)跡地」は確かにそこであるはずだったが、いくら見渡しても、かつて球場があったようには見えない。繁華街を抜け、高層ビルと高速道路のはざまに出現した巨大な商業施設。近代的な建造物に緑が青々と生い茂る様は、宮崎駿監督の長編アニメ映画「天空の城ラピュタ」のようだった。なんばパークス、そこにはかつて、大阪球場という球場が存在した。

 球場の歴史は1950年までさかのぼる。自前の球場がなかった南海ホークスは、GHQの力添えもあり、大阪の一等地難波に鉄筋コンクリート造りの球場を設けた。 完成した当初は「昭和の大阪城」とたたえられた。一方で、余りに都会過ぎるせいで敷地が非常に狭く、またスタンドを急傾斜に設計したため〝すり鉢球場〟とも言われた。角度は、札幌・大倉山スキー場のジャンプ台の滑走路と同じ37度。こう書くと、とんでもない急斜面のように感じる。ちなみに現在も京セラドームの最上段まで登ると、同じような感覚が味わえる。

 チームがパ・リーグに加入した1950年から、数えること優勝10回。南海は、ここで黄金時代を築いた。全盛期は1950~60年代。毎年優勝争いを繰り広げ、関西では阪神をしのぐ人気があった。しかし、その後巨人が台頭。関西では阪神が「巨人の対抗馬」と持ち上げられた。70年代以降は南海の弱体化もあって、一気に人気が低迷。球場は閑古鳥が鳴き、なんと7回以降は無料で入場できた。「タダやし、ちょっと会社帰りに野球見て帰るか」なんてことが気軽にできたというわけだ。大都会・難波ならではである。

 なんばパークスの9階には、南海ホークスのメモリアルギャラリーがある。優勝ペナントやトロフィー、名将・杉浦監督のユニホームなど、強かった南海の輝かしい功績を目にすることができる。また、大阪球場のメモリアルプレートがあると聞いていたのだが、それがいっこうに見つからない。看板すら見つからず途方に暮れてしまった。強かった南海の本拠地なのだから、もっと仰々しく奉られていると思っていたのだ。

 施設内を2往復したが自力では見つけられず、警備員の方に案内してもらうことになった。施設のほんの入り口に、それらはポツンと存在していた。かつてホームベースがあった位置にしゃがみ込む。南海の正捕手だった野村克也氏も、同じような景色を見ていたのだろうか。思わず、「今ホームランを打てば、あの茂みに入っちゃうな」なんて、現実離れしたことを考えた。

 大阪球場跡地は、そんな風にどこかチグハグな、現実離れした空間であった。かつて都会のど真ん中にあった野球場と、近代的な建物に青々と茂った緑に、同じような不均衡を感じる。今昔の共通点と言えばそれだけだろうか。現地を訪れた際も、原稿を書いている今も、あそこには何か不気味なものを感じている。球場は確かに50年近くそこに存在していたのに、突如現れ、こつぜんと姿を消した。何故だか、そんな気がしてならない。(田中 想乃)

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