【原監督 お別れの言葉】父に連れていってもらったゴルフ場で初対面 ボール打ち込み「心臓が止まるかと」

[ 2020年1月22日 05:30 ]

金田正一氏「お別れの会」 ( 2020年1月21日    東京・帝国ホテル )

金田正一氏の祭壇の前で弔辞を読む巨人・原監督(撮影・木村 揚輔)
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 【原監督 お別れの言葉】

 弔辞。金田さん、辰徳です。長きにわたり、いろんなことを教えていただきました。私にとって父であり、師匠であり、前人未到400勝投手、憧れの先輩でした。本当にお世話になりました。

 金田さんと初めてお会いしたのは、私が高校3年生の時でした。金田さん、覚えていますか?相模カンツリー倶楽部。どこに飛ぶのか分からないような頃、父に連れていってもらったコースでした。

 私の前の組は金田さん、長嶋さん、王さん。短いパー4のホールで、大変な事件を起こしてしまいました。たまたまドライバーが真芯に当たり、1オンしてしまったのです。

 3人の大先輩が振り向かれ、私は心臓が止まるかと思いました。大きな声で「すみません」と謝りながら、深々と頭を下げました。一番体の大きい金田さんは怖い顔をされているように見えましたが、長嶋さん、王さんはニコッと笑って手を挙げてくれました。

 少し安心してグリーンに上がり、ボールを探していたところ、ちょっとだけ顔が見えているボールがありました。あとで聞きましたら、金田さんが踏んでくれたそうです。金田さんの“愛情”を感じました。

 私の現役時代はまるで子供扱いでしたね。「まあまあ頑張ってるな」。「まあ一生懸命やりなさい」。その程度でした。しかし、私が2002年、巨人軍の監督に就任してからは野球を教えていただき、その金言はいくつもありました。

 特に、チーム状態が悪いときには明るい声で電話をくださり、幾度となくアドバイスをくださいました。「柔軟体操をして体を柔らかくしなやかに動かしているか」。「下半身をしっかり鍛えて、下半身始動の野球ができているか」。「全力疾走、全力投球、全力スイングはできているか」。選手にもたくさん指導をしていただきました。

 年に5、6回は食事をしながら、野球談議、いや、講義でしたね。「食事も野球のうち」と常に言われていました。金田さんは大変な美食家で、ご指定のお店はどこでも本当においしく、何回かに一度生意気にもごちそうさせていただいた時、「何を気を使ってるんだ」と言いながら、ニコッと笑っていらっしゃいました。

 金田さんとの食事会はいつも楽しみでした。偉大な野球人の先輩である金田さんから頂戴したたくさんの教えは、私が後世に伝えていきます。本当にありがとうございました。安らかに、安らかにお休みくださいませ。

令和2年1月21日
 読売巨人軍 原辰徳
 (原文のまま)

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