【内田雅也の追球 特別編】見つかった幻のジャガー・マーク 伝説のデザイナー早川源一氏の原作を復元

[ 2020年1月16日 06:30 ]

大森正樹さんが復元した阪神ジャガーズのマーク
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 【幻の「ジャガー・マーク」を発掘、復元】阪神2軍が「阪神ジャガーズ」と改称した1954(昭和29)年ごろ、ペットマークとして描かれた「ジャガー・マーク」が見つかった。大阪市内のスポーツ用品卸売・製造会社「シウラスポーツ」にモノクロ写真で残っていた。球団創設時、「トラ・マーク」をデザインした名手、阪神電鉄宣伝課の早川源一氏(1906―76年)の作品とみられる。実際は使用されなかった「幻のマーク」を発見者の会社員がこのほど復元した。

 幻のジャガー・マークを見つけたのは芦屋市の会社員(鉄道設計技士)、大森正樹さん(53)でデザインやブランドに関心を抱いた阪神ファンだ。大学でデザインを専攻し、日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)、日本デザイン学会の会員でもある。

 特に球団創設初年度の1936(昭和11)年から今も使い続けるトラ・マーク、球団旗、Tigersロゴなどを描いた当時阪神電鉄宣伝課の早川源一氏に注目し、個人的に研究を続けている。

 その過程で知り合った早川氏の孫、早川恵さんから「祖父の作品が残っている」と聞き、昨年11月、そろって大阪市天王寺区のシウラスポーツ用品を訪ねた。数あるデザインやイラストで目にとまったのがジャガー・マークだった。モノクロ写真で残されていた。

 「瞬間的に阪神ジャガーズだ!と思いました」と大森さんは言う。早川作品だと直感した。「目、鼻、ひげ、牙のパーツ、コントラストの境界の引き方、画角(どの視点からみているか)も斜め前からで、完璧にトラ・マークと共通している。トラをデザインした人自らが弟分として描いたとしか思えない」

 阪神ジャガーズはセ・リーグ2軍が新日本リーグを結成した1954(昭和29)年に定めた2軍独自の名称。神戸市民球場を本拠地とした。胸にJaguarsとロゴの入ったユニホームが作られた。そのペットマークに違いないが、実際には使用されなかった。

 また、阪神1軍ビジター用ユニホームのOSAKAロゴの3種類の原案も見つかった。1つに鉛筆で「合格」と書かれている。54―57年と実際に使用されたものだ。

 シウラスポーツ用品会長の志浦宏一さん(78)によると、同社は阪神と取引があり、ユニホームも納めていた。早川氏とも交友があった。「ユニホームの素材はウールで、阪神からのオーダーがなくなった時、生地でブレザーを仕立てて、社員が着ていました」

 父親の創業者、志浦外二(そとじ)氏(1913―2008年)は富山県高岡市生まれ。スポーツ用品卸売のカジマヤに勤めて独立、38年3月15日、大阪・お初天神で創業。戦災にあい、心斎橋に店を構えた。

 藤本勝巳、藤井栄治、大津淳ら選手とも親交が深かった。三宅秀史と個人契約しスパイクなど用具を納めた。自宅に泊まりに来る間柄だったコーチ・藤井勇の紹介でマイク・ラインバック、ハル・ブリーデンと契約し、宣伝用下敷きもあった。

 ジャガー・マークの原画を手にした大森さんは「白黒写真しかないのはあまりに残念で、自分の手で復元したくなった。トラ・マークと兄弟で並べてみたいという欲求は抑えられなかった」と、自ら色づけした。試行錯誤の末、ジャガー・マークを復元してみせた。

 「早川氏がどのような思いでデザインしたかをなぞる作業は素晴らしい追体験だった。直感的にこれは大発見だと思ったが、カラーで再現することでよりリアルなインパクトとなった」

 偉大なデザイナーが描いたトラとジャガーの兄弟をよみがえらせたのだった。(編集委員)


 【早川源一氏のデザイン】早川源一氏は京都高等工芸学校図案科(現在の京都工芸繊維大)を1927(昭和2)年に卒業し阪神電鉄に入社、宣伝課に勤めた。沿線開発で海水浴場、遊園地、サーカス誘致などの広告、ポスターをデザインした。

 35年12月の球団創設を受け、36年には今に続くトラ・マークができている。球団愛称がタイガースと決まると、中心選手だった若林忠志の母校、ハワイ・マッキンリー高のマスコットをもとに同窓生だった保科進が原形を描き、早川が仕上げたとみられている。

 黒黄しま模様の球団旗、Tigersロゴも描いた。有名な「大阪タイガース来る」のポスターは36年6月、遠征先九州各地で掲示された。

 球団創設85周年を迎えても変わらぬマークについて、大森さんは「デザインがぶれないのは、早川氏の基礎デザインの完成度が極めて高かったから」と話した。「タイガースは自らのブランドを自らデザインした。他人任せでなく、自ら魂込めたものは永遠のブランドになると証明している。もっと広く知られるべきで、今回の発見で注目が高まってほしい」

 早川氏が阪神電鉄退職時、後輩社員に譲ったトラ・マーク原画がある。ビロード地に絵の具で描かれていた。所蔵する同社員の息子、石飛弘一さんがテレビ番組『開運! なんでも鑑定団』(テレビ東京系)に出品すると本物と鑑定され、評価額は280万円だった。

 早川氏は70年代に入っても、オールスター戦のポスターを手がけた。ユニホーム研究の第一人者、綱島理友氏は阪神公式サイト内『タイガース・ユニフォーム物語』で<プロ野球を意匠、デザインから支えた功労者だった>とたたえている。

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