指名漏れで野球に別れを告げた「紀州の剛腕」――落合秀市(和歌山東)人生の分岐点

[ 2019年10月19日 12:50 ]

17日、校長室でドラフト中継を見入る和歌山東の落合秀市(左)と米原寿秀監督(撮影・後藤 大輝)
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 【内田雅也の広角追球】ドラフト会議は支配下選手の指名が全球団「選択終了」となった。17日夜7時すぎのことだ。育成ドラフトで再開するまで、20分の中断があった。

 「紀州の剛腕」と呼ばれた落合秀市(和歌山東)の名前は呼ばれていなかった。同校正門前で米原寿秀監督(44)と雑談していると、自転車に乗った3人組が帰っていく。話し声が「こんな長い間待っていただいて、悪かったっす」と聞こえた。こちらに向かって謝っていたのだった。

 落合だった。振り向いて少し笑みを浮かべ「お疲れさまでしたあ」と帰っていった。

 驚いて「え? まだ、育成ドラフトがあるのに」と言うと、米原監督は「いや、もういいんですよ」と答えた。「彼は育成ではプロに行きません。最初からそのつもりでしたから」

 では、進路はどうするのか。大学進学か、社会人か。

 「いや、彼はもう野球はやりません。地元の会社に就職するそうです」

 またまた驚いた。

 何しろ、佐々木朗希(大船渡)、奥川恭伸(星稜)、西純矢(創志学園)、及川雅貴(横浜)の「高校BIG4」に匹敵する素材と言われた。1メートル85、90キロの恵まれた体格から最速148キロの速球を誇る。今年夏の和歌山大会では紀三井寺球場に日米13球団のスカウトが視察に訪れた逸材である。

 「あっさりしていると思われるでしょ。でも、育成からはい上がってとか、大学で勉強しながらとか……そういうタイプじゃないんです。彼はそういう選手なんです」

 午後5時にドラフト会議が始まってから2時間以上、校長室でライブ中継を見ながら話していたのだろう。南佳詞部長は「何としてもやりたいという、内発的なものがないのだと思います。プロの球団がそういった内面的なものを含めて指名を見送ったのかもしれません」と話した。

 米原監督は静かに言った。「やるもやめるも彼の人生。そういう点では今日は彼にとって、人生の大きな分かれ道だったんでしょうね」

 落合は正門から続く細い道を自転車で去って行く。いつの間にか、細かい雨が降っていた。田んぼの間を通る県道への曲がり角、落合は振り向かず帰っていった。

 運命の日。さかのぼること4時間、午後3時すぎに学校に着いた。米原監督と話す時間があった。落合には「ドラフト取材で遅くなるから、先に何か食べておけよ」と指示し、彼はコンビニに行っていた。

 「あいつは宇宙人ですよ」と米原監督は笑った。「プロで良ければ2年で大化け、ダメなら2年でクビでしょう。何位でありますか? スカウトの方にも“大丈夫ですか? 本当に面倒みきれますか?”と話しているんですよ」

 紀之川中時代はボーイズリーグ・和歌山ビクトリーズに所属していたが練習態度などから「干されていた」と言う。それは落合本人も認めている。控え選手だった。エースは今夏の和歌山大会決勝に進んだ那賀の谷脇弘起だった。

 和歌山東に入学しても「遊んでいても仕方ない」と野球部に入った。素質は認めた米原監督も1年生当時はトレーニングコーチに預け、体作りに専念させた。

 2年春の和歌山大会。当時部員は22人。ベンチ入り登録は選手20人と記録員1人で落合1人だけスタンド観戦となった。こんな辛い経験の後、急成長を見せた。6月の四国遠征、明徳義塾戦で1失点完投勝利をあげ「あれから急に変わりましたね」と監督は言う。

 新チームとなり、秋は後に選抜8強となる市和歌山に延長11回、1―2でサヨナラ負け。最後の今年夏も同じ市和歌山に3―4でサヨナラ負けを喫し、甲子園には出られなかった。

 腹ごしらえをして、グラウンドに戻ってきた落合と話した。「全然緊張なんてしてないっすよ。本当っす」と屈託ない。「プロって、練習きついんすかね。でも自分っすよね。やるもやらないのも自分。やればお金を稼げるっていうことですよね」。おぼろげながら、プロの世界に思いをはせているようだった。

 他の3年生も集まっていた。今夏敗戦時「このメンバーともう野球ができないのかと思うと……」と涙を流した仲間たちだ。「契約金入ったらごちそうしてくれよ。焼き肉とか」「どの球団が熱心だったか、オレ知ってますよ。見てたら分かります。AとB、それからCもよく来てました」「ここで監督さんに説教されたよなあ。足元からアリとクモがはい上がってきてなあ。それでも、あの時みんな動けずに困ったよなあ」……落合はニコニコして聞いていた。あの笑顔が忘れられない。

 引退と言うのだろうか。今回の落合の決断に対し、周囲から「もったいない」「独立リーグや社会人で続けるべき」と翻意をうながす声も多い。

 もちろん野球ばかりが人生ではない。そして人生は長い。人生の岐路に立ち、あの笑顔の裏で、落合はつらく、苦しい決断に悩んでいることだろう。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。今回出向いた和歌山東高は小学校時代の校区にあり、実家から自転車で10分とかからない。また落合の父は桐蔭高野球部の1年先輩だった。

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