落合博満氏 立浪和義氏を先発から外した理由は守りが大前提 攻撃野球ならアライバコンビ誕生はなかった

[ 2026年5月1日 21:40 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(72)が1日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。中日監督就任時に攻撃野球を目指したら「アライバコンビ」誕生はなかった可能性があったことを明かした。

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 「ピッチャーを中心とした守りの野球をやるっていう前提があるからね」

 2005年シーズン、立浪氏の失策数は前年の「8」から「12」に増えた。「打つことに関しては何の問題もなかった」が、サードにボールが飛んでいくと、ピッチャーは“サードゴロだ”って思ったのが抜けてヒットになり始めた。これはまずいなっていうことで森野を鍛え上げた」。立浪氏の守備に衰えが見え始めたことで落合氏は新たな手を打つことを決めた。

 監督就任時に「立浪、谷繁(元信)、福留(孝介)、当時レギュラーとしてバリバリやっているメンバーには一切、何も言っていない。05年、06年にかけて立浪の動きが悪くなってきたということで、手を打たないといけないところで森野が出てきた」

 守りを中心とした野球をやるために「ショート・井端、セカンド・荒木の2人を鍛えあげた」のがスタートだった。その方針から「森野があぶれたわけだ。打つチームを作るっていうんだったら荒木が外れる。だから守り切る野球となると守りを鍛えなきゃいけない」と考えにブレはなかった。

 実際に立浪氏の守備固め要員として2003年オフに巨人を退団した川相昌弘氏をテスト入団で獲得した。

 「森野がサードを守れるようになれば立浪があぶれちゃう。ピンチヒッターとして仕事はしてくれたけど」

 06年は113試合で打席数は前年の580から284と半減した。07年は113試合で129打席。立浪氏の役割は代打が主となった。

 当時、レギュラーを外された立浪氏の周囲から、理由説明がなかったことに不満の声が聞こえてきた。それに対し落合氏は「何の相談もなかったと言うけども、オレらだって相談を受けたことは選手時代、一回もないからね。そういう世界っていう。時代背景があるんだろうと思う。今はベテラン連中に気をきかして“こういうことだからスタメンを外れてくれ”というようなケースはあるんだろうけど、オレらの時はそんなの一切ないもん」と説明した。

 不仲説についても「そんなの一切ないんで。彼がどういうふうに思っているか知らないけど。立浪がスタメンを外れた(監督就任)3年目に川相もユニホームを脱がしている。あくまでも立浪の守備固めが第一目標だった」と一切考えにブレはなかった。
 

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