【駒田徳広 我が道2】父親の職業のおかげ? 幼稚園で初めてのグラブを手に入れて左利き判明

[ 2026年5月2日 07:00 ]

七五三の時かな。姉、父と一緒に
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 1962年(昭37)9月14日、奈良県三宅村(現三宅町)で生まれた。学年で5つ上の姉・富士子がいる。

 父・勝美は運動用具、いろんな競技のシューズを作る職人だった。自作の商品を京都の大学の陸上部に売りに行ったりしていた。個人でやったり、勤めたり、いろいろしていたが、のちに有名ブランドを立ち上げる方とライバルだったと聞かされたことがある。

 そんな仕事をしていたから手に入れやすかったのかな。幼稚園のとき、グラブを買ってきてくれた。お箸は右手で持っていたから、右用のグラブ。左手にはめてボールを投げようとしたら、うまく放れない。それで初めて「あらあら、この子は左利きや」となった。

 すぐ左用に替えてもらい、最初にキャッチボールの相手をしてくれたのは母(治子)方のおじいちゃん。自分で言うのもなんだが、捕るのも投げるのも上手にできて面白かった。

 74年に町制が敷かれ、全国で2番目に小さい町となった三宅町は奈良盆地の真ん中に位置している。田んぼだらけで、遊びといえば草野球だった。幼稚園の運動場で年長の人たちに交ぜてもらい、打ったら一塁へ走ることを知った。

 やっとルールを覚えた頃、三宅小学校に入学。すぐ野球部に入れてもらった。3750グラムで生まれ、すくすくと成長。入学時で3年生と肩を並べるくらいの身長があった。6年生のいとこが「あいつ、うまいぞ」と言ってくれて3、4年生のチームに入った。

 当時は左投げ右打ち。親父が買ってくれたグラブで左利きということは分かったが、打つのは右。みんなが右で打っていたからじゃないかな。

 デビュー戦はすぐにやって来た。どこを守ったか忘れたが、人生初打席はよく覚えている。デッドボール。ゴム製の軟式ボールでもピカピカの1年生には衝撃が大きい。「野球って痛いんだ」と思った。

 2打席目はレフトオーバーの二塁打。広いグラウンドでホームランにはならなかったが、会心の当たりだった。「お前、うまいから合格」となり、当時3年生の先輩が6年生になるまでずっと一緒にやった。

 野球以外は悪いことばかりしていた。1年生の時に担任の先生から「手に負えない」と言われ、親父は「小学校に入ったばかりでそんなふうに言われて、どうすりゃいいんだ」と怒っていた。

 ある種、感受性が強いというか、一つボタンをかけ違えたら、頑として言うことを聞かなくなる。6年生の時にはこんなこともあった。

 担任の先生が一部の子を贔屓(ひいき)しているように感じて授業をボイコット。自分一人ならともかく、27人か28人のクラスで12人がついてきた。先導したように思われて大問題になった。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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