【令和新時代 夏のメモリー】昭和の夏から令和の夏…祖父と孫つなぐ作新の絆

[ 2019年8月19日 08:00 ]

第101回全国高校野球選手権大会 第12日準々決勝   作新学院3-6中京学院大中京 ( 2019年8月18日    甲子園 )

ベンチで声を出す作新学院・桑名(撮影・大森 寛明)
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 浜風が吹き、銀傘に歓声が響いていく。今も変わらぬ甲子園。57年もの月日を超え、祖父と孫の夢が実現した。作新学院の背番号14、桑名日向の祖父・佐山和夫さん(74)は、アルプス席で感慨深げにこう言った。

 「まさか孫に連れてきてもらえるとは思ってもみなかった。それも作新学院の選手で。本当にうれしいですね」。佐山さんは作新学院が62年に春夏連覇を達成したときの二塁手だ。グラウンドに立って感じた広さ、全身に響く大歓声は今も忘れない。あの夏、二塁手として好守を見せるとともに打率4割を残した。

 甲子園には、桑名が4歳のときから5、6回連れてきて作新学院の試合を観戦。家に遊びに来ると春夏連覇の優勝メダルを見せた。小学生になるとキャッチボールにノックも。桑名は「左右にかなり振られました」と懐かしむ。今の堅守はそれが原点だ。「守備は本当にうまかった。高校進学のとき“どうしても作新へ”と言ってね」と佐山さんは振り返った。

 「二塁手は一番難しいポジション。頭を使って守れ」。佐山さんの教えはしっかり桑名の胸に刻まれている。何かの因縁だろうか。57年前の夏の準々決勝で破ったのが県岐阜商。この日、同じ岐阜の中京学院大中京に敗れた。「つらい時もあったけど、諦めずにやってきてベンチ入りできた。作新に来てよかった」。そんな孫を佐山さんは優しく見つめた。

 昭和の春夏連覇から平成を超え、令和へ。甲子園には、あの夏と同じ熱い日が射していた。(秋村 誠人)

 《出場停止を覚悟》62年の作新学院は、センバツでエース・八木沢が決勝で日大三を完封して優勝。夏はその八木沢が甲子園入り後に赤痢と診断されて入院した。宿舎では保健所の検査が行われ、佐山さんは「出場停止だと思って荷物をまとめた」という。幸い他の選手に感染はなく、八木沢不在で臨んだ大会はもう一人の投手・加藤が快投。「当時は八木沢も加藤も取られて1点。2点取れば勝つという感じだった」。春夏で優勝投手が違う連覇だった。

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