松井秀喜氏 高校生“160キロ時代”「高校時代の私では打てない」

[ 2019年4月30日 08:31 ]

松井秀喜氏 単独インタビュー(2)

4月、ニューヨーク近郊で野球教室を行った松井秀喜氏(撮影・杉浦大介通信員) 
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 巨人やヤンキースで活躍し、日米通算507本塁打を放った松井秀喜氏(44)が、スポニチ本紙の単独インタビューに応じた。星稜入学(平2)から日本の野球殿堂入り(平30)まで、野球人生を通じて「平成」を沸かせたスラッガーが、「令和」への改元を前に古巣・巨人、日米球界、次代を担うスターへの思いを熱く語った。 (聞き手・大林 幹雄)

 ――大リーグ移籍時は野茂英雄氏に始まり日本選手が次々と海を渡る流れがあった。

 「メジャーでプレーできたという意味では幸運でした。野茂さんが行かなかったら、どうなったか分からないですが、FAがあったから、行く人は行ったでしょうけど、もう少し遅くなったのではないでしょうか」

 ――日米で活躍した野茂氏、松井氏に加え、イチロー氏も引退。米国では田中、ダルビッシュ、前田らが円熟期を迎え、二刀流の大谷も誕生した。

 「何を期待しているとか、そういうのは一切ないかな。一野球ファンとして客観的に見ているだけで。頑張って日本にいい話題を届けてほしいというのはもちろんあります」

 ――大谷は高校時代に160キロを出し、新たな160キロ超えの投手として大船渡・佐々木投手が話題。映像などを見たことは。

 「一度、ニュースで取り上げられていたのは見ましたね。高校ジャパンのニュースは」

 ――感想は。

 「投手のことは分からないですが、それだけ騒がれているので、もちろん凄い投手なんだろうと思います。御社評論家の張本さん、中畑さんに聞いてください(笑い)」

 ――高校生の球速はどんどん上がっている。変化を感じるか。

 「野球全体のレベルは間違いなく上がってきていると思いますよ。昔から比べると全体のレベルは絶対に上がっていると思います。個人が160キロ投げるようになった要因はちょっと分からないですが。高校時代の私が今の野球に飛び込んでも、当時と同じように打てないと思いますよ。私たちの時代は140キロを投げる投手もほとんどいなかった。スピードガンが全く一緒かどうかは分からないですが」

 ――指導した1Aなどで20歳前後で100マイル(約161キロ)を投げる投手は?

 「たまにいますよ。ただ、球が速い投手がいい投手かというと、必ずしもイコールではないんですよね。もちろん、武器の一つなんですが。100マイル投げていい投手なら、1Aにはいないんです。速いボールを投げるのは一つの武器なんですが、それだけでは上には行けないんですよ」

 ――野球のレベルアップにデータ分析や科学的なトレーニングも影響しているか。

 「データ活用は、間違いなくあると思います。我々の時代にもありましたが、今ほど細かくはなかったんじゃないかと思います」

 ――データや科学的なトレーニングに偏ることの弊害や懸念は。

 「それは私には分かりません。それぞれ正しいと思うものを選択するしかないですよね。それは人それぞれの自由だと思いますね」

 ――野球教室を行う際、野球人口の減少を危惧する発言が多い。自身の使命とは。

 「大きなことは考えていないです。子供たちに楽しんでもらって、野球のよさを分かってもらえればそれでいいかなと思っているので。活動をしていても(全野球人口の)何万分の、何十万分の1くらいでしょうから。(人気復活は)希望ですよね。やっぱり野球の人気は高くあってほしいなとは思います」

 ――グラウンドに戻って新たなスターの育成が待望されている。

 「そんなにされていないと思いますけど。現時点では考えていないです」

 ≪日米で野球教室≫12年限りで現役を引退した松井氏は、15年3月にヤンキースのGM特別アドバイザーに就任。傘下マイナーチームの指導にあたり、今年で5年目を迎える。また、15年4月にはNPO法人「松井55ベースボールファウンデーション」を設立し、日米各地で野球教室を実施。4月20日にニューヨーク近郊で行ったものが設立以来17回目の開催となった。

 ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年(昭49)6月12日生まれ、石川県出身の44歳。星稜から92年ドラフト1位で巨人入団。02年オフにFA宣言し、ヤンキースへ移籍。09年に自身初のワールドシリーズ優勝を果たし、日本選手初の同シリーズMVP。翌年からエンゼルス、アスレチックス、レイズでプレーし、12年限りで現役引退。日米通算2643安打、507本塁打。13年5月には国民栄誉賞を授与された。15年3月からヤンキースのGM特別アドバイザー。右投げ左打ち。

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2019年4月30日のニュース