【西千葉】「野球王国・千葉」の完成 習志野 サヨナラ甲子園V

[ 2018年6月24日 08:00 ]

第57回大会決勝   習志野5―4新居浜商 ( 1975年8月24日    甲子園 )

<広島商・習志野>3試合連続完封を成し遂げた習志野・小川淳司投手のピッチング
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 73年に銚子商が作新学院の怪物・江川卓を沈めて千葉の高校野球熱を引き上げ、翌74年には土屋正勝、篠塚利夫を擁して全国制覇。大漁旗が振られるアルプススタンドの風景とともに銚子商の名前は全国に知れ渡った。

 75年、夏の千葉大会の準決勝で篠塚率いる銚子商と春のセンバツに出場した習志野が激突。天台の県営野球場は人であふれたらしい。結果、篠塚を2度敬遠した習志野が2−1で銚子商を下し、決勝も勝って甲子園出場を決めた。センバツで1回戦負けしたことで「やっぱり甲子園は銚子商じゃないとな」と習志野は陰口も言われていたとか。

 ところが習志野のエース小川淳司は凄かった。3回戦から準決勝まで3試合連続完封。千葉の子供たちがくぎ付けになったテレビにはマウンドに仁王立ちする小川の姿があった。剛腕・小川は小5の私にとってもヒーローだった。決勝の新居浜商戦は肩の不調で小川は打ち込まれたが、2年生の下山田清のサヨナラ打で勝利。千葉県勢として2年連続の全国制覇を達成し、小川は5試合全て投げ切って優勝投手となった。その年の都市対抗野球でも千葉市代表の電電関東(1998年解散)が優勝。「野球王国・千葉」を強く印象付けた。

 この時私は千葉の団地に越してきて4年目。周りには経済成長に合わせて全国から移ってきた子供が大勢いた。それまで「千葉」という土地に特に思い入れもなかった私たちに高校野球は強烈な郷土意識を植え付けた。「俺たちは野球王国に住んでいるんだ!」と。

 ちなみにヤクルトの小川淳司監督は「いい人」と言われているが、ヤクルトの取材に何度行っても話しかけられない。妙に緊張する。子供の頃のヒーローはそういう存在なのだ。

 ◆篠原 岳夫(東京本社写真部)千葉東高卒、ラグビー部で全国大会出場(補欠)。小学校を4回変わっているため「半分、青い。」の鈴愛と律の関係がいまいち理解できない。

 <千葉データ>

夏の出場 76回(通算94勝73敗)

最高成績 優勝3回(習志野=1967、75年、銚子商=74年)

最多出場 銚子商(12)

最多勝利 銚子商(25)

出場経験 24校、うち未勝利10校

 ※データは東千葉、西千葉を合算

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