新井愛されて2000安打「幸せな選手だと思う」

[ 2016年4月27日 05:30 ]

<ヤ・広>笑顔で注文に応える新井

セ・リーグ 広島11-3ヤクルト

(4月26日 神宮)
 広島の新井貴浩内野手(39)が26日のヤクルト戦で3回に成瀬から適時二塁打を放ち、史上47人目の通算2000安打を達成した。2008年にフリーエージェント(FA)権で阪神へ移籍し、15年に広島に復帰。FAで離れた古巣に戻っての2000安打達成は新井が初だ。2112試合目での到達は大学、社会人出身者では最も遅い。出会った人に愛され、努力する才能に恵まれた男の金字塔を、神宮に詰めかけたファンが祝った。

 新井コールと万雷の拍手が鳴りやまない。神宮の左半分を真っ赤に染めた広島ファンの大声援を背に、プロ18年目でたどり着いた2000安打。願い通り勝ち試合で達成し、39歳は同僚に感謝しつつ素直な思いを吐露した。

 「自分もうれしいけど、ファンの方々が喜んでくれるのがもっとうれしい。声援が体を動かし、心を奮い立たせてくれる。幸せな選手だと思う」

 24日の阪神戦(マツダ)で王手をかけ、即決めた。3回、無死二塁の第2打席。1ボールから成瀬の内角スライダーを振り抜くと、ライナーは左翼線で弾んだ。適時二塁打。長打と確実性を融合する最高の打撃で節目を飾った。

 パワー自慢の粗削りな打者から一流へ――。その野球人生を支えてきたのは人との出会い、頑強な体、練習量だ。

 02年に28本塁打。しかし、阪神へ移籍した金本知憲に代わり開幕から4番に座った03年、全く打てなかった。7月12日、我慢を続けていた山本浩二監督に6番降格を告げられると、涙した。04年も状態は上向かず、兄貴と慕う金本に救いを求めた。体の軸で回転するよう助言され、ある人物に「練習に付き合ってください」と願い出た。

 ブルペン捕手の水本勝己(現2軍監督)だ。旧広島市民球場の左翼側にあった狭い室内練習場。翌04年から、地元で試合がある日は水本の投球を打った。練習を始めた当初、心を動かされた光景がある。試合後も毎日欠かさず走る前田智徳(現野球解説者)の姿だ。

 「おまえも何か、あれぐらい努力していることがあるか?」。水本の問い掛けに新井は首を横に振る。以来07年まで、何があっても人より早く球場へ行き、一日も休まずに打ち続けた。これが大記録への土台となった。

 「それまで感性だけで打っていたけど、4番は確たる技術がないと通用しない。ミズさんとの4年間で幹ができた」

 05年に本塁打王。ブラウン監督に打点を求められた06年はスタイルを変えた。フルスイングから、ポイントを近づけ中堅から右方向へ。阪神移籍4年目の11年に打点王。そして今季は飛距離を再び追求する。長打と確実性の融合。それが新井の目指す最終像だ。

 「大きな目標に向かって、みんなで頑張っている最中。明日も試合がある。しっかり準備して、また全力を尽くしたい」

 阪神最終年の14年の43安打から、広島復帰で出場機会を増やした昨季は117安打。大台へ残り29本で迎えた今季、開幕24試合でその日を迎えた。こみ上げるものがあったのか。出発点の広島のユニホームで達成した心境を問われ、声を詰まらせる場面もあった。ただ、個人記録はあくまで通過点。7回の2001安打目で、男は再び発進した。(江尾 卓也)

 ◆新井 貴浩(あらい・たかひろ)1977年(昭52)1月30日生まれ、広島県出身の39歳。広島工から駒大を経て98年ドラフト6位で広島入団。02年にレギュラーに定着し、05年に43本塁打で初タイトルを獲得。07年オフに阪神へFA移籍し11年に打点王。15年に広島へ復帰。05年ベストナイン、08年ゴールデングラブ賞受賞(ともに一塁手)。08年12月から12年12月まで労組日本プロ野球選手会の第7代会長を務めた。1メートル89、96キロ。右投げ右打ち。

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