【新井独占手記】不器用で下手クソだった自分がよくぞここまで

[ 2016年4月27日 09:05 ]

<ヤ・広>スタンドの大歓声に応える新井

セ・リーグ 広島11-3ヤクルト

(4月26日 神宮)
 史上47人目の通算2000安打を達成した広島の新井貴浩内野手(39)が、スポニチ本紙に独占手記を寄せた。

 勝ち試合で達成できて本当にうれしい。不器用で下手クソだった、あの新井がよくぞここまで…。自分のことだけど、入団当時を思い起こすと純粋にそう思う。感謝の気持ちしかない。丈夫な体に生んでくれた両親、鍛え育ててもらった歴代監督やコーチの方々、そして広島東洋カープ。周りの支えがあったからこそ達成できた記録だ。

 思えば無我夢中で走ってきた。130キロの球がとてつもなく速く感じ、プロでやっていくのは無理だと思った18年前。朝から晩まで練習した。いや、させられた。必死に一日を乗り切れば、しんどい明日がまたやって来る。その繰り返し。余計なことを考える体力すらない。3年目まではずっとそんな日々だった。

 今でも思い出す。早朝6時に起床し、山口県の由宇で2軍戦に出場。先に抜けて旧広島市民球場に戻り、試合前の練習を終えると、ビジターチームの練習中にも片隅でゴロ捕球を課せられた。真夏の猛暑日。ナイターにもスタメン出場し、ぶっ倒れる…と感じたことは一度や二度じゃない。

 でも、歯を食いしばって立ち向かっていった。自分で言うのは生意気だが、怒鳴られても殴られても、どんなに過酷な練習を課されても、気力を奮い立たせて必死にやり通した。なぜ厳しい環境から逃げなかったのか。よく聞かれるが、本能としか言いようがない。

 父・浩吉と母・美智子は厳しかった。理不尽に怒られた記憶はないが、これをやれ…と言われたら、必ずやらなければならない。反抗したことはあっても、僕には反抗期と言えるものがなかったと思う。それだけ両親は怖く、絶対的な存在だった。ふてくされず、下を向かず、命じられたことは最後までやり通す。そうした教えや習慣が、厳しい練習に立ち向かえた原点かもしれない。

 出会いにも恵まれた。春季キャンプ4、5日目にケガで離脱し、オープン戦でも打っていないのに、開幕1軍入りした1年目。大下剛史ヘッドコーチに使ってもらったから今がある。4番に抜てきされ、重圧に負けた2003年。4番を外れる日に、山本浩二監督から「苦しいか、しんどいだろ」と声を掛けられ、情けなさで涙を流した苦い経験もバネになった。

 そして金本知憲(阪神監督)さん。野球観や打撃面はもちろん、練習態度、ウエートトレーニングの重要性、試合に出続けることの価値…入団当時から、いろんなことで影響を受けた。金本さんとの出会いが自分の野球人生では一番大きい。本当に感謝しきれない。

 ここまで無我夢中で走ってきた。出発点を思い起こすと、遠くまで来たな…と思う。でもまだ走り続けている最中だし、まだゴールじゃないから、自分に対して“よくやった”とは思わない。目指す先はリーグの頂点。俺たちは絶対にやる、やれるんだという強い気持ちを持って、チームメートと一緒に頑張りたい。(広島東洋カープ内野手)

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2016年4月27日のニュース