斎藤隆、現役引退 「東北復興のシンボル」将来は監督候補

[ 2015年8月17日 06:32 ]

2013年の日本シリーズで日本一となりファンと喜ぶ斎藤隆。今季限りで引退する

 日米両球界で活躍した楽天・斎藤隆投手(45)が今季限りで現役を引退することが16日、分かった。この日までに球団と話し合って決断。17日に仙台市内で会見を行う。メジャーで7年間プレーした後、13年から生まれ故郷である仙台に本拠を置く楽天に移籍。その年に球団初の日本一に大きく貢献した。チームメートからの信頼も厚く、多くのファンに愛された男が、ついにユニホームを脱ぐことになった。

 斎藤がプロ生活24シーズン目の終了を待たずに、大きな決断を下した。今季限りでユニホームを脱ぐことを決め、数日前から球団と話し合いを重ねてきたが、この日までに球団も本人の意思を尊重。17日に仙台市内で会見を行い、現役引退を表明する。

 2月に45歳となった今季は4月に2試合に登板したのみ。2軍では若手に交じって地道な調整を続け、今月6日のイースタン・リーグ、ヤクルト戦(コボスタ宮城)では9回に登板して3安打2失点ながら最速144キロをマーク。「おじさん、へばっちゃったよ。でも144キロ出ていたからね」と笑顔で話し、「しっかり食べ物だったり、睡眠をとって、何とか頑張りたい」と1軍復帰に向けて意欲を語っていた。

 しかし、パ・リーグ最年長投手の肉体は限界だった。今季も太腿や古傷でもあるふくらはぎを痛め、コンディション不良に苦しんできた。親しい関係者には「今季が最後になるかもしれない」と漏らしていた。

 斎藤は東北福祉大から91年のドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団。98年には先発、中継ぎでフル回転して日本一に貢献した。36歳だった06年に、かねて夢だったメジャーに挑戦。同年から3年間所属したドジャースでは守護神の座をつかんだ。メジャー7年間で5球団を渡り歩き、2度の地区優勝、5度のポストシーズン出場を経験。大舞台でも強さを発揮した。

 斎藤は渡米後は「いつ野球を辞めてもいい」との思いで、全力で投げ続けてきた。しかし、ある出来事が野球観を変えた。11年3月11日に東日本大震災が発生し、故郷が甚大な被害を受けた。被災した人々と接する中で「野球って生き死にじゃない」と悟った。12年オフ、地元の仙台に本拠を置く楽天からのオファーに迷わず、日本球界復帰を決断。13年は30試合に登板して3勝0敗、防御率2・36の好成績で球団創設9年目での初優勝と日本一に貢献した。

 球団は、功労者の一人でもある斎藤に対し、将来の監督候補として大きな期待を寄せている。チームメートからの信頼も厚く、現時点では流動的ながら来季は投手コーチなどのポストが用意される可能性もある。

 「復興のシンボル」として東北全土に勇気と希望を与えた斎藤。高校、大学時代にも汗を流した思い出の地で、現役生活に別れを告げる。

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