斎藤に聞く「体が大変だった」「やりたいことはいっぱいある」

[ 2015年8月17日 17:42 ]

すっきりした表情で引退会見する斎藤隆

楽天・斎藤 引退会見

 斎藤は慎重に言葉を選びながら、24年間のプロ生活を振り返った。

 ―決断の要因。

 「一つではない。1軍で力になれていない現状、そこに至っていないと判断されている自分のパフォーマンス。体が大変だった。連投となったときに前日の疲労感が残るようになった」

 ―引退を決めて。

 「何かあればこれが最後のマウンドになると、どの選手よりも意識していたと思う。今は非常に晴れやかな思い」

 ―印象に残る勝負。

 「常に自分との戦いと思ってきた。勝ちをコントロールすることは雲をつかむようなもの。できるのは自分のパフォーマンスを突き詰めること」

 ―どのような投手として記憶されたいか。

 「オールラウンダーだったのかな。向き、不向きでいうと、ショートイニングの方が成績は出ている」

 ―家族への報告。

 「妻には毎年シーズンを迎える前に『もしかしたら今季で』と8年か9年間言い続けてきた。一番覚悟していると思っていたが、誰より言葉に詰まった」

 ―今後は。

 「この先のことはまだ。やりたいことはいっぱいある。野球以外のことは考えられない」

 ▼楽天・三木谷浩史オーナーの話 斎藤隆選手の活躍なくして、2013年のリーグ優勝、日本一達成は成しえなかったと思います。若い選手たちの模範として、チームを支えてくれました。

 ▼楽天・立花陽三球団社長の話 優勝を成し遂げるため、そして東日本大震災からの復興のシンボルとしてご尽力いただき、豊富な経験と野球に対する思いでチームを優勝に導いていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。

 ▼楽天・大久保博元監督の話 プロ野球界の功労者。ある程度、年齢を重ねてもメジャーで通用することを証明した。(自ら)引退できる人は幸せ。それだけの実績がある。寂しくなる。

 ▼楽天・嶋基宏捕手の話 いろんなアドバイスを僕にもしてくれた。隆さんがいるだけでチームが引き締まる存在だった。熱い部分、魂の部分を引き継いでいきたい。

 ▼楽天・星野仙一前監督の話 田中(将大)もそうだけど、隆がいなかったらあの日本一はなかった。

 ▼ヤンキース・田中将大投手の話 隆さんと一緒にプレーできたのは1年間だけでしたが、日本一になることもできましたし、いろいろと声をかけてもらったり貴重なアドバイスをいただきました。とても感謝しています。本当にお疲れさまでした。

 ▼レッドソックス・上原浩治投手の話 巨人に入団したとき、横浜のエースが斎藤さんだった。先発から中継ぎ、そしてクローザーと似たような道を歩んでいると、僕は勝手に思っている。救援投手は皆、斎藤さんを目標にしているところがあった。

 ▼レッドソックス・田沢純一投手の話(米大リーグ1年目にチームメートだった)あの人の存在がなかったら、今の僕はなかったぐらい大事な人。寂しいのは寂しいけど、僕の師匠であることは変わらない。これからも野球や人生でいろんなアドバイスをもらえたらいいかなと思っています。

 ▼DeNA・中畑清監督の話 長くプレーできたのが、彼にとって一番幸せだったんじゃないかな。日米でやったし、最後は東北にも戻って来られた。少し休んで、これからは野球界に恩返しをしてほしい。

 ▼1992年に大洋(現DeNA)に同期入団したDeNA・三浦大輔投手の話 (横浜時代の)98年に一緒に優勝できたことは一番の思い出です。グラウンドを離れても家族ぐるみでお付き合いさせてもらっていますし、公私にわたってお世話になっている先輩と一緒にプレーできて幸せでした。

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