「常笑」本庄一 ノーシードから涙のサヨナラ切符!

[ 2010年7月29日 06:00 ]

<本庄一・花咲徳栄>9回1死一、三塁、本庄一・谷本の右前打で三走・田端がサヨナラのホームを踏む

 第92回全国高校野球選手権大会(8月7日開幕、甲子園)の地方大会は28日、15大会で17試合が行われた。埼玉大会は本庄一が谷本充遊撃手(3年)のサヨナラ打で花咲徳栄を3―2で破った。須長三郎監督(53)にとっても2年ぶりの出場を決めた。神奈川大会準決勝では、横浜が昨夏準々決勝で敗れた横浜隼人にリベンジ。東海大相模とともに決勝に進出した。29日は、神奈川大会決勝など5大会で8試合が行われる。

【28日試合結果


 【埼玉・本庄一3―2花咲徳栄】校歌を歌うナインに笑みが浮かんだ。泣きながらも白い歯を見せ、一生懸命に笑った。「常笑」をモットーとするチームだが、夏の甲子園出場を決め、ようやく笑えた。
 須長監督が7回の攻撃前に切り出した。「おまえらどうしたの。中途半端で。このままでいいの?甲子園に行かないの?」。6回の先頭・田尻が二飛で全力疾走を怠った。怠慢プレー。いつもの雷が落ちた。効果は抜群だった。8回1死三塁から5番葉梨の一塁内野安打で同点。そして最終回、1死一、三塁から2番谷本が右前サヨナラ打。今大会初打点のヒーローは「スライダーです。打った瞬間落ちると思った」と大興奮だった。
 ノーシードの今大会はコールドも完封勝ちもない。ギリギリの戦いを勝ち抜いた。そのタフなチーム作りの根底に監督歴29年の人心掌握術があった。「常に笑え」と掲げながら、指導法は笑顔とは縁遠いものだ。
 新チームとなって一度は、1年生ながら08年夏の甲子園で4番を打った田村和が主将就任も、秋に投手転向したため2月に降板。捕手の葉梨が新主将となったが、5月中旬、遠征先の所沢商との練習試合で事件が起きた。やる気のない態度をとった葉梨を「おまえはいらない。家に帰れ」と試合中にグラウンドから追い出したのだ。落ち込む主将は退部まで考えた。だが田村和の「オレの相棒はおまえしかいない」のメールで奮起。チームに戻った。
 優しく接する者もいれば、厳しく育てる者もいる。その中で選手たちは互いを支え合い一体感を育てた。そして未知の力を発揮した。エースの友情に応えた葉梨は「ずっと田村の重責を軽減させるのが仕事でした」と優勝旗を手に感無量の表情。それこそ指揮官の狙い通りだった。
 2年前の初出場は、ブラジル人留学生の力を借りたが今年は違う。ベンチ入り20人は全員埼玉北部出身。指揮官は「よく周りの人に、笑えと言いながら怒る須長さんはずるいと言われる。でも県北の部員で勝てたのはうれしいね」。ホンイチがようやく笑った。そして、もっと良い笑顔をつくるため甲子園に乗り込む。

 ▼オリックス・岡田監督(須長監督は早大野球部の1年先輩)お~、サヨナラで決めたんか。2回目やな。須長さんとは5~6年会っていないけど、(専用)球場もつくって学校も力入れとるんやろな。

 ◆須長 三郎(すなが・さぶろう)1957年(昭32)2月13日、埼玉県東松山市生まれの53歳。川越工で73年夏の甲子園4強。早大では4年時の78年秋に一塁手でベストナイン。1学年後輩に現オリックス・岡田監督がいた。社会人のプリンスホテルで3年間プレー後、高校野球の指導者に転身。85年埼玉の秀明をセンバツ初出場に導いた。東農大三、埼玉工大深谷(現正智深谷)の監督を歴任し、01年12月から本庄一に着任。

 ≪2失点完投に母感激!≫9回5安打2失点完投の田村和の母・清美さんも、三塁側応援席で感激していた。実家は学校から約30キロ離れた山間の街、秩父市にある。大自然の地域で育った和麻少年は、1年生で甲子園に出場すると街でも人気者となった。清美さんも外出時に「息子さんを応援しているよ」と声を掛けられるという。寮生活だが月2、3度の帰宅時は、自らチャーハンも作るようになった次男に「本当にたくましくなりました」と目を細めていた。

続きを表示

2010年7月29日のニュース