中川1安打“歓封”成田20年ぶり夏切符!

[ 2010年7月26日 06:00 ]

<成田・東海大望洋>試合終了後、仲間に胴上げされる成田・中川

 第92回全国高校野球選手権大会(8月7日から、甲子園)の地方大会は25日、34大会で94試合を行った。千葉大会決勝では成田のエース中川諒投手(3年)が7回まで無安打の快投。春夏連続出場を狙った東海大望洋を1―0で下して20年ぶり7度目の出場を決めた。長野は松本工が初出場を決めるなど全国6地区で代表が決まった。26日は21大会で41試合が行われ、西東京など11大会で決勝が行われる。

【25日の試合結果
千葉組み合わせ


 両手を広げてナインを待ち受ける。夢じゃない。甲子園だ。マウンドを守り抜いたエース中川の雄叫びが、千葉マリンに響き渡った。
 「実感はないんですが、叫んでしまいました。甲子園ですね。力まず自分の投球ができました」
 20年ぶりの夏切符が懸かった一戦で最高の投球を見せた。今大会5試合でチーム打率・359だった東海大望洋打線を、スライダーとチェンジアップも織り交ぜて手玉に取った。7回まで無安打投球。8回先頭の岩堀に右前打を許してスタンドからため息が漏れたが、集中力は切れなかった。2死二塁からこの試合最速の139キロで長友を空振り三振に仕留めた。1安打無四球で11奪三振の完封ショー。すべての三振を鋭い直球で奪った。
 07年センバツ。当時中学生だった中川はスタンドで成田―広陵を観戦。唐川(ロッテ)の快投に酔いしれて「唐川さんの後輩になり、日本一になる」と決めた。その後ベネズエラの世界大会にも出場した右腕は08年3月、成田の練習場で卒業間近の唐川から「唐川侑己、背番号1」と記された同校のタオルを授かった。「背番号1を君に託す」の言葉は胸に刻まれている。唐川の投球フォームを参考にする中川だが、尾島監督は「唐川と中川の類似点は、投げろと命じた試合をすべて投げること」と話す。昨秋千葉大会2回戦、1―13と大敗した習志野戦では、左足の疲労骨折を隠して投げ抜いた。エースは簡単にマウンドから降りない。背番号1を背負う男は、1900年創部の伝統校のエース魂をしっかり継承している。
 ナインは7月から成田山新勝寺に毎朝お参り。ノーシードからの大願成就を祈念した。願いは通じた。「(夏は甲子園に出場していない)唐川さんを超えてしまいましたね」と笑った中川。真夏の大舞台で成田の名を全国にとどろかす。

 ◆中川 諒(なかがわ・りょう)1992年(平4)7月17日、千葉県茂原市生まれの18歳。白井小3年時に高根ニュースターズで投手を始める。白井中では佐倉シニアで3年時に日本代表としてベネズエラの世界大会3位。成田1年夏からベンチ入り。最速143キロ。好きな言葉は「美」。好きな食べ物は鳥肉。遠投90メートル。握力右65キロ、左60キロ。視力は両目とも2・0。家族は両親と妹。1メートル80、79キロ。右投げ右打ち。

 ▼成田 文武両道が目標。OBにハンマー投げの室伏広治。

続きを表示

2010年7月26日のニュース