復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

大好きな街が再生するまで…仲間と支えあう「絆の丘」

[ 2011年6月11日 06:00 ]

村上選手が避難している高田一中

 村上君が暮らす高田一中は市内最大の避難所で、350~400人が体育館で生活する。「避難所という呼び名は後ろ向きな感じがする」(避難所関係者)との思いから、4月末に「絆の丘」と命名された。消灯時間が午後9時30分で、昼食は正午、夕食は午後6時。朝食は各自の活動時間が異なるため、前日の夕食時にパンと飲み物が支給される。

 外に設置されたテント式の喫煙所も、住民同士の大切な交流の場。照井由紀子さん(58)は午前10時に1本、昼食後に1本と決めて足を運び「最初は“吸いたい”なんて不謹慎な気がして我慢したの。いまは大事な息抜き」と笑う。

 スポーツ施設「サンビレッジ高田」では102人が暮らす。施設内にキャンプ用テントを並べ、各家庭ごとに区切る独特なスタイル。食事は3食ともに「サンビレロード」と呼ばれる避難所中央の広場で一緒に食べ、日中に出かける人のために弁当も用意される。

 「ここは結束が強くて仲が良い」と話すのは、最高齢の新沼薫さん(86)。息子2人は千葉と福島県郡山市に住み、震災後には同居を提案されたが「自分はずっと陸前高田で育ってきた。ここを出る気はない」と断った。この日は仙台で被災したいとこの訪問を喜び、「土地を見つけたから、並んで家を建てようと決めたんだ。息子にも定年になったら高田に戻って来いと言った。“うん、分かった”って」。その日を待ち、避難所の仲間と復興への日々を歩んでいる。

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