復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

震災から2カ月…12日 春季岩手県大会地区予選初戦

[ 2011年5月12日 06:00 ]

室内練習場で汗を流す高田ナイン

 東日本大震災の影響で開催が延期されていた春季岩手県大会沿岸南地区予選は、12日に開幕する。壊滅的な被害を受けた陸前高田市の高田高校は1回戦で釜石と対戦。仮設住宅の建設が進む同校グラウンド脇の室内練習場で最終調整を終えたナインは、震災のため栃木県内の高校に転校を余儀なくされた元部員の菅野明俊君(3年)に勝利を届けることを誓った。

 約1カ月ぶりに見た自分たちのグラウンドは、まるっきり様変わりしていた。現在建設中の148戸もの仮設住宅がびっしりと並び、野球をやるスペースはどこにもない。大和田将人主将はポツリとつぶやいた。

 「当分、野球はできそうもないですね。しようがないことですけど…」

 震災からちょうど2カ月が経過した。校舎が壊滅的な被害を受けた高田高校は現在、大船渡市の旧大船渡農の校舎を使用している。4月下旬から活動を再開した野球部も、場所を転々としながら練習を重ねてきた。そんな中、震災の影響で大会が延期されていた春季岩手県大会の沿岸南地区予選は、12日に開幕。高田高校は初戦で釜石と対戦する。この日は試合前の最終調整を行うため陸前高田市の自校に戻り、グラウンド脇の室内練習場を訪れたが、あまりの変貌ぶりにナインは複雑な表情を浮かべていた。

 「全然練習はできてないですけど、やるからには勝ちたいです」。大和田主将を先頭に登録メンバーは室内練習場で約1時間30分、フリー打撃などを敢行。控え部員は仮設住宅が並ぶグラウンドの横でティー打撃を繰り返した。不遇な環境の中、やれるだけのことはやった。

 実戦不足は否めないが、どうしても負けられない理由がある。震災後、1人の部員がチームを去った。チーム一の元気者だった菅野明俊君(3年)だ。「ムードメーカー的存在で頼りになる存在。チームの雰囲気を変えてくれる感じでした」。大和田主将がそう評する菅野君は、津波で両親を亡くした。高田高校に入学予定だった弟とともに行き場を失った菅野君は、母親の実家に預けられることになり栃木県の県立高校に転校することが決まった。転校先で野球を続けるかどうかは未定だという。誰よりも野球が好きだったにもかかわらず、突然の転校を余儀なくされた親友の無念。大和田主将は「菅野のためにも勝ちたい」と力をこめた。

 佐々木明志(あきし)監督も思いは同じだ。「今でも菅野の名前を口にすると涙が出そうになる」という。チームが劣勢のときや苦しいときに、雰囲気を変えてくれる存在を一番評価していた。「野球の技術で貢献をするというタイプではなかったが、絶対にベンチから外せない選手でした」。だからこそ困難な状況であっても、野球を続けることができる選手に対してはあえて勝利を求めた。「プレーするからには勝たないと楽しくない。おこがましいけれど、勝つことによって頑張ろうと思ってくれる人もいる」。野球をやれることに感謝しながら、チームを去った菅野君に白星を届ける。

 ▽岩手県立高田(たかた)高校 1930年に高田実科高等女学校として創立。48年に現校名に改称。65年には火災により本校舎が全焼した。野球場は92年に竣工(しゅんこう)。08年に広田水産と統合し、普通科に加え海洋システム科を新設。昨年10月には創立80周年記念式典が行われた。

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