【ROOKIES 猛虎ファイル】ドラ3山田(1)  運命的!小1で「タイガース」から始まった野球人生

[ 2023年12月23日 05:15 ]

荒町タイガース時代の山田脩也(家族提供)
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 阪神のドラフト3位・山田脩也内野手(18=仙台育英)は野球一筋で育った根っからの野球少年だ。白球を追っていた兄・利輝(としき)さんの背中を幼少期から追い続けた。走攻守三拍子そろった期待の内野手。高校時代は甲子園に14試合出場、2年夏は優勝、3年の今夏は主将として準優勝へとけん引した。その“甲子園の申し子”の素顔に迫った。(石崎 祥平)

 【幼少期】山田家の次男として、体重3900グラムで生まれた脩也は、既に幼少期から野球ができる環境が整っていた。物ごころがつく前には6歳年上の兄・利輝さんは野球に没頭。兄の野球観戦に両親と出向くたびに、自然と野球熱は高まっていった。

 5歳の時から本格的に野球を始め、いつしか自宅の和室は「野球部屋」となっていた。「普段(和室は)そんなに使わないところだったので(使わせたけど、子供たちに占領されてしまった)」。母の歩(あゆみ=45)さんは苦笑いを浮かべたが、素振りが快適にできる空間で脩也は野球に熱中した。畳の上に敷かれたカーペットの上で、利輝さんとバットを振り続けた。時には一人だけで投げるそぶりをして、打って、走って、本塁へ戻る…。そして審判もこなし、一人数役の“エア野球”にも没頭。クリスマスになると、サンタクロースにお願いする物はおもちゃでも、ゲームでもなかった。「毎年、野球に関するものばかりで…」と歩さんは回想した。

 4人兄姉の末っ子。普段はもの静かで、口数は少なくても、野球になると威勢が良かった。幼少期、散歩の途中、自宅近くの公園で行われていたソフトボール大会や草野球にかじりついては、その場を離れなかった。小学1年になると兄の背中を追って仙台市内の少年硬式野球チーム・荒町タイガースに入団。偶然にも最初に袖を通したユニホームはタテジマだった。

 当時は同学年の友達と比べても体は小さく、小学6年時の身長は150センチに満たなかった。それでも「野球部屋」での特訓の成果は着実に形に表れた。カーペットは素振りでボロボロ。侍ジャパンにも選出され、17年に台湾で開催された「第4回WBSC U―12」のワールドカップに出場。早くも世界の舞台を経験したことで、おのずと目標も高くなっていた。

※【中学時代】へ続く

 ▽山田 脩也(やまだ・しゅうや)プロフィル

☆生まれ&サイズ 2005年(平17)8月20日生まれ、宮城県仙台市出身の18歳。1メートル77、72キロ。右投げ右打ち。

 ☆球歴 5歳で仙台スワローズで野球を始め、小学校で仙台広瀬リーグ・荒町タイガース、中学校で仙台東部リトルシニア所属。仙台育英では1年春からレギュラー。2年夏に甲子園優勝、3年夏に同準優勝。高校通算18本塁打。

 ☆好きな言葉 「優れるな、異なれ」。動画サイト「YouTube」で、お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦が他人との比較論を展開する際に発言。「いい言葉だな、と」

 ☆趣味 音楽鑑賞、アニメ視聴。「呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)とか、ONE PIECEを見ます」

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