村田兆治氏、火災死 球界ショック…暴行事件からわずか2カ月 「マサカリ投法」で人気

[ 2022年11月12日 05:16 ]

村田兆治さん死去

村田兆治氏の豪快なマサカリ投法
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 ダイナミックな「マサカリ投法」で人気を集めた元ロッテ投手の村田兆治(むらた・ちょうじ)氏が11日、東京都世田谷区成城の自宅で発生した火事で死亡した。72歳。広島県出身。死因は煙を吸ったことによる一酸化炭素(CO)中毒とみられる。通算215勝で現役引退後も球界発展のために尽力。9月に羽田空港で暴行事件が起きてから2カ月。あまりにも衝撃的な最期となった。

 高級住宅街の成城にある村田氏宅が出火したのは11日午前3時10分ごろ。2階リビングが激しく燃えていた。駆けつけた消防隊は同じ階の小部屋で部屋着姿の村田氏を見つけたが、既に意識はなく、壁などに寄りかかるように床に座った状態だった。午前5時57分に、搬送先の病院で死亡が確認された。

 警視庁成城署によると、村田氏が発見された小部屋は燃えた部分が少なく、死因はCO中毒とみられる。火元はリビングとみているが、暖房器具やタバコなど出火の原因につながりそうなものは見つかっていない。

 当時、住宅には村田氏しかいなかった。近隣住民は「奥さんは7、8年前、父親を介護するため神戸市の実家に戻ったと聞いた」と話しており、長く独り暮らしだったとみられる。

 署によると、外部から侵入された形跡はなく、目立った外傷もなかった。遺書なども見つかっていない。署は失火と放火の両面で捜査する方針で、出火の原因を調べている。

 村田氏は1967年ドラフト1位で東京オリオンズ(現ロッテ)に入団。独特の「マサカリ投法」で人気を集めた。83年、日本球界で初めて右肘のじん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。85年に復活すると開幕11連勝。主に日曜日に投げていたことで「サンデー兆治」の愛称で呼ばれ社会現象となった。

 現役引退後、05年に野球殿堂入り。60歳を超えても130キロ台の直球を投じた。離島を巡る野球教室などもライフワークにしており、今年9月にはなじみの中華料理店を訪れ「次世代の育成に力を入れていかなきゃね」と意欲を燃やしていた。

 だが、同月23日、羽田空港で保安検査員の肩を押したとして暴行容疑で現行犯逮捕。釈放後は家にこもりがちだったという。「年なのでそろそろ家を売ってマンションに住もうと思ってる」。親しい知人にはこう漏らしていた。先月24日に発表された沢村賞の選考委員も辞退するなど事件の影響が色濃く残っていた。

 ≪住宅街に5メートルの炎≫赤黒い大きな炎が寝静まった街に立ち上った。ガラスの割れるパリンという音が何度も響いた。驚いて外に出た近所の男性(74)は「(村田氏宅の)2階からさらに3~5メートル、火が上がっているのが見えた」と119番通報した。ポンプ車など26台が駆けつけ、一帯がけたたましいサイレンの音に包まれた。隣に住む60代男性は複数の救急隊員が村田氏を運び出す様子を目撃。村田氏がいた2階の玄関から外階段に並んだ隊員がリレー方式で地上に下ろした。待機していたストレッチャーに乗せると、懸命な心臓マッサージが続いた。同居人はいなかったことから、隊員は隣人の男性に村田氏の顔で間違いないか確認。男性は「やけどなどはしておらずきれいな顔でした。あまりにもショックで言葉がありません」と声を震わせた。

 ◇村田 兆治(むらた・ちょうじ)1949年(昭24)11月27日生まれ、広島県出身。福山電波工(現近大広島高福山)から67年ドラフト1位で東京オリオンズ入団。75、76年に2年連続最優秀防御率、81年に最多勝を獲得。83年に右肘じん帯再建手術を受ける。85年に17勝を挙げ、カムバック賞を受賞。90年に現役引退。通算604試合で215勝177敗33セーブ、防御率3.24。95~97年はダイエー(現ソフトバンク)投手コーチ。05年に野球殿堂入り。

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