【ジャンプ】高梨沙羅、失意の涙から4年…「みんなのおかげ」で嬉し涙の銅「今までのメダルで一番」

[ 2026年2月12日 01:30 ]

ミラノ・コルティナ冬季五輪第5日 ジャンプ 混合団体(ヒルサイズ=HS107メートル) ( 2026年2月10日    プレダッツォ・ジャンプ競技場 )

<ミラノ・コルティナ五輪 スキージャンプ混合団体>銅メダルを獲得し号泣する高梨沙羅(撮影・小海途 良幹)
Photo By スポニチ

 混合団体が10日に行われ、日本が同種目初の表彰台となる銅メダルを獲得した。高梨沙羅(29=クラレ)は1回目に96メートル50、2回目に97メートルを飛んで3位に貢献し、前回22年北京大会でスーツ規定違反による失格で4位だった悪夢を払拭した。18年平昌大会個人銅以来、自身2大会ぶりのメダル。日本は小林陵侑(29=チームROY)、個人ノーマルヒル銅メダルの丸山希(27=北野建設)と二階堂蓮(24=日本ビール)の布陣で臨み、今大会ジャンプ勢3つ目のメダル獲得となった。

 沙羅が笑って、泣いた。メダルが確定すると、高梨はチームメートと満面の笑みで両手を突き上げた。そして、前回北京大会を一緒に戦い、今回は団体メンバーから外れた伊藤有希に抱きしめられた途端、あふれる涙をこらえきれなくなった。目の前が真っ暗になったあの日から1464日。苦しみ抜いた先に、ようやくたどり着いた表彰台だった。

 「みんなのおかげです。間違いなく、このメダルは今まで人生で獲ったメダルの中で一番うれしい。幸せな日にできました」

 団体メンバー入りを告げられた日、高梨は「本当に私でいいんですか?」と口にした。脳裏をよぎったのは、4年前の悪夢。「4年で積み上げてきたものをここで出せないと、私の競技人生は終わり」。そう覚悟を胸に飛んだ2本。合計249点は3日前に13位だった個人戦(238・9点)を上回る得点だった。「団体戦は苦手だったけれど、このチームだからできた」。重責のトップバッターを担ってくれた丸山、和ませてくれた小林陵、そして「楽しく飛んでください」と背中を押してくれた二階堂。心強い仲間への感謝を何度も口にした。

 4年前の22年2月7日。混合団体でスーツ規定違反による失格となった。泣き崩れ、試合後にはインスタグラムに真っ黒の画面=写真=とともに、謝罪の言葉を投稿。スロベニアの自宅に戻ると、部屋から出られなくなった。家の外に出られたのは2週間後。重い扉を押し開け、たどり着いた湖の光景を今も忘れられない。「太陽が当たるって、こんなに幸せなんだ」。ほんの少し、飛ぶ勇気が戻ってきた。

 帰国後の22年5月、北海道の実家で、ファンから届いた手紙を読んだ。「沙羅ちゃんのジャンプを見て、頑張って病気と闘おうと思った」。同7月、山形で練習中に地元の人に声をかけられた。「飛んでいる姿を見るだけで、元気をもらえます」。板を置くべきかを自問し続けた日々。「ジャンプ界のためにできることがあるなら、やらなければ」。再び五輪を目指す理由が、そこにあった。

 自身4度目の五輪は「恩返し」のために飛ぶと決めていた。胸に輝くメダルを、いとおしそうに見つめた高梨。「まだまだ続く挑戦を楽しみにしているけれど、今はちょっと浸らせてください。ようやく楽しい瞬間を感じられたので」。その言葉に、万感の思いがにじんだ。

 ◇高梨 沙羅(たかなし・さら)1996年(平8)10月8日生まれ、北海道上川町出身の29歳。ジャンプ選手だった父と兄の影響で小2から競技を始める。W杯では12年3月の蔵王(山形)大会で初優勝。W杯通算63勝は男女を通じて歴代最多。五輪は女子ジャンプが採用された14年ソチから今回で4大会連続出場。1メートル52。

続きを表示

この記事のフォト

「高梨沙羅」特集記事

「羽生結弦」特集記事

スポーツの2026年2月12日のニュース