パラトライアスロン・谷真海 たどり着いた4度目大舞台で見つけた「メダル以上の宝物」

[ 2021年8月30日 05:30 ]

東京パラリンピック第6日・トライアスロン女子 ( 2021年8月29日    お台場海浜公園 )

最下位も万感の表情の谷(撮影・光山 貴大)
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 女子の運動機能障がいPTS5で日本選手団旗手を務めた谷真海(39=サントリー)は、1時間22分23秒で10位だった。13年のIOC総会のプレゼンテーションで大会招致に貢献した東京パラリンピックの“顔”。陸上走り幅跳びから転向しトライアスロンでは初出場となる4度目の大舞台で、起伏に富んだ長い旅のゴールに笑顔でたどり着いた。女子の車いすで夏冬合わせて8度目の出場となった土田和歌子(46=八千代工業)は9位だった。

 長かった道のりを思い起こすかのように、一歩一歩を踏みしめて走った。最下位と苦しみながら、谷の表情には大粒の汗とともに笑顔が光る。「感謝の気持ちを込めて走ろうと思いました。この場に立てて最高に幸せな気持ち」。両手を上げ、万感の思いでフィニッシュラインを越えた。

 18年に自身の障がいクラスが実施されないことが決まり、障がいが軽い選手と競う不利な条件でのレースだった。スイムを5番手で終えたものの、バイクから徐々に順位を落としていく。それでも険しい道のりを自ら切り開いてたどり着いた舞台に「日本なので粘る力をもらえた」と最後まで諦めなかった。地元・宮城県気仙沼市が東日本大震災で被災した経験を含め、13年のIOC総会の招致プレゼンテーションで訴えた「スポーツの力」。その言葉を9年越しに走りで体現した。

 旧姓の佐藤で臨んだ招致翌年に結婚し、15年に長男の海杜(かいと)君を出産。年齢も考えた上で16年に陸上からトライアスロンに転向し、東京を目指した。延期が決まった昨春は葛藤もしたが、家族の存在が支えになった。メダルを楽しみにする6歳の愛息に「違うクラスだから厳しいんだよね」と言うと、「やる前から諦めちゃダメ」と返ってきた。レース前日には夫の昭輝さんから「ここまで一緒に来られて最高の人生だった」と言葉を掛けられた。「この場を家族と迎えられたことが、私にとって最高の思い出」。家族の思いを乗せて駆けた25・75キロだった。

 20年を「ゴール」としてきた39歳の言葉に実感がこもる。「ここに来るまでの過程を含めて、自分のパラリンピックなので。4大会に出場してきてメダルには縁がなかったけど、自分の中ではそれ以上の宝物をもらったなと思っています」。紆余(うよ)曲折の挑戦の日々が、一つの区切りを迎えた。

 【谷 真海(たに・まみ)】

 ☆生まれ 1982年(昭57)3月12日生まれ、宮城県気仙沼市出身の39歳。

 ☆競技歴 中学から陸上を始め、早大でチアリーダーとして活動。大学在学時の01年に骨肉腫を発症し、02年4月に手術で右足の膝下を切断。翌年からパラ陸上の走り幅跳びに挑戦し、04年アテネ大会から3大会連続で出場。

 ☆走り幅跳び 04年アテネでパラリンピック初出場し、3メートル95で9位。08年北京は腰痛を抱える中で4メートル28で6位。12年ロンドンは4メートル70と過去2大会より記録を伸ばしたものの9位。

 ☆実績 トライアスロンでは17年世界選手権優勝。世界シリーズは競技を本格化する前の12年から通算4回制覇。21年4月アジア選手権優勝。

 ☆家族構成 13年の東京五輪・パラリンピック招致活動で出会った昭輝さんと14年に結婚。15年に第1子となる長男の海杜君を出産。旧姓・佐藤。

 ▽トライアスロンのクラス分け 運動機能障がい(PTS)と車いす(PTWC)、視覚障がい(PTVI)の3つに分かれる。運動機能障がいは独走歩行が可能で、四肢欠損などがある選手が対象。数字が低いほど障がいの程度が重い。谷は本来PTS4クラスだが、女子は人数が少ないため実施されず、統合された1つ軽いPTS5で出場した。

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