パラアーチェリー大山晃司は準々決勝敗退 2月死去の仲喜嗣さんの後を継ぎ「力を貸してくれた」

[ 2021年8月30日 20:37 ]

東京パラリンピック・アーチェリー ( 2021年8月30日    夢の島公園アーチェリー場 )

<パラリンピック アーチェリー>男子個人(車いす)トルコ代表・トゥルクメノールとの準々決勝、矢を放つ大山(撮影・木村 揚輔)
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 男子車いすW1個人は大山晃司(29=警視庁)が準々決勝でトルコ選手に129―133で敗れた。代表に内定していた仲喜嗣さんが2月に60歳で死去し、後を継ぐ形で出場した。

 仲さんのユニホームを持った日本代表の仲間が観客席から声援を送る中、1射1射に思いを込めた。韓国選手との1回戦はシュートオフでともに10点ながら3ミリ差で制し、「仲さんが少し力を貸してくれたのかな。2人合わせて勝てた1勝だと思います。観客席から見てくれていると思った。メダルを獲れば良い報告ができたけど、勝てたことも良い報告になる」と笑みを浮かべた。

 今年2月。延期期間中の仲さんの突然の訃報に、大山は驚きを隠せなかった。同じクラスのライバルとして常に意識してきた選手。「最後は敵わないと思われるように終わりたかったけど、その願いもかなわなくなった。あの人がいたから自分のレベルを上げることができた」。一度は代表入りが途絶えかけた中、大先輩が切り開いた道を継ぐことになった。代役に当時は「自分で良いのかなって複雑な思いがあった」と振り返ったが、「勝って良い報告をするのが一番。仲さんの分まで全力で戦う」と心に誓った。

 専大体操部に所属していた12年、床運動の練習中に首から落ちて頸椎を損傷。当初は「首から下が全く動かなかった」が、懸命なリハビリが実った。中学、高校はサッカー部のGK。スポーツに親しんできた大山はリハビリの一環で水泳や車いすラグビーを始め、16年に「競技としてできるスポーツを探している時に」アーチェリーと出会った。右手は思うように力が入らないため口で弓を引き、「自分と的だけ、単純だけど奥深いスポーツ」の魅力にのめり込んでいった。

 入院中、絶望の淵にいた大山を奮い立たせたのが、中学生から抱いていた「警察官になりたい」という夢だった。「警察官にはなれなくても、身体が良くなれば警察の組織で仕事ができるんじゃないか」。その思いが苦しいリハビリのモチベーションになった。採用試験は2回落ちたが、一般企業に勤めながら諦めずに試験勉強に励み、アーチェリーを始めた16年に夢をかなえた。

 現在は月島署の会計課でフルタイムで働いている。「残業すると練習できなくなっちゃうので。仕事は仕事」と集中することで困難な両立を可能にしてきた。警視庁初のパラリンピック内定後は練習の時間が増え「自分が練習に行きやすい環境にしてくれたり、負担を減らしてくれたり。大会の結果もいつも気にしてくれて良い職場」と感謝する。9月1日の選手村退村後は「翌日から出勤だと思う。余韻に浸りながら仕事をするのかな」と笑った。

 パラリンピックの舞台を経験し「大きな1勝」を上げたことで自覚も強まった。3年後のパリへ「国内の他の選手には負けたくない気持ちはある。もっとうまくなりたいし、次はメダルを獲りたい」と決意を新たにした。

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