照ノ富士 77年魁傑以来“2度目大関昇進伝達式”で決意「やる限りは上を目指す」

[ 2021年4月1日 05:30 ]

使者の(左手前から)浅香山親方、高島親方から大関再昇進の伝達を受ける照ノ富士(右から2人目)と伊勢ケ浜親方夫妻(撮影・光山 貴大)
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 日本相撲協会は31日、東京・両国国技館で夏場所(5月9日初日、両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開き、関脇・照ノ富士(29=伊勢ケ浜部屋)の大関昇進を満場一致で正式に決めた。21場所ぶりの返り咲きは77年初場所後の魁傑の所要7場所を上回る最長ブランク。都内の同部屋で行われた昇進伝達式では「謹んでお受けします」という短い口上に、横綱を目指す決意を込めた。

 言葉に伝わるものがあった。15年夏場所後の伝達式で、新大関の照ノ富士は「謹んでお受けいたします。今後も心技体の充実に努め、さらに上を目指して精進いたします」と述べていた。2度目の口上は「謹んでお受けいたします」というシンプルなものになったが、「気持ちはずっと変わっていない」ときっぱり。29歳は「もちろん、やる限りは上を目指して頑張りたい」と力を込めた。

 序二段から史上最大のカムバック。舞台裏を部屋のおかみさん、杉野森淳子さんが明かす。「印象的なのは2年前。たびたび大関が親方(元横綱・旭富士)を訪ねて来て辞めたいって」。引退の相談は5、6回。そのたび親方に説得されて肩を落とした。「うなだれて戻っていくのを繰り返し見てきたので、あの時は今があるって想像できなかった」。親方の折れない気持ちが伝わり始め、心変わりした。

 「(今は)全部そぎ落とされたみたいな。(体形が)ブヨブヨしていたというか、序二段に落ちていた時は湿疹も出ていた」。おかみさんが心配するほど体調を崩した当時、まず師匠は糖尿病で悪くなった内臓と膝の治療を優先させた。体も気持ちも上向き始め、4場所連続休場から土俵に復帰。不屈の男は「辞めたい気持ちを(師匠が)病気を治すことに専念させる気持ちにしてくれた。全てが親方のおかげ」と心から感謝した。

 人一倍の苦労を経験したからこそ、喜びもひとしおだ。「やっているうちに相撲好きになっていく自分もいる。今は相撲大好きです」。横綱を目指すスタートラインに再び立ち、大関初優勝へ「できるもんならやってみたい」と意欲。さらに「経験したことのないところもある。だからこそ、一回でも経験してみたい気持ちもある」と夢も口にした。復活劇を完結させた師弟の物語にはまだ続きがある。

 ▼伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士) 本人は長い間、苦しんでいた。それに負けずに頑張ってきた成果だ。優勝して大関になったから立派。諦めないで、頑張ればやれるということを示している。各力士のお手本になる。

 ▼安治川親方(元関脇・安美錦) 上(横綱)も期待していいんじゃないですか。春場所の終盤のような相撲を取っていけば、黙っていても上がるかな。奥さんの存在も大きいんじゃないかな。

 ▼八角理事長(元横綱・北勝海) 自分を信じ、諦めず努力し続けることの大切さを体現してくれた。苦しい時期もあり、険しい道のりだったと思うが、この経験は今後の相撲人生においても大きな力になると思う。さらに上を目指して、これからも励んでほしい。

 ▽大関の待遇 日本相撲協会の看板として、横綱とともに各種行事に参加する。月給は横綱の300万円に次ぐ250万円。関脇、小結から70万円アップする。2場所連続で負け越すと陥落するが、関脇に落ちた場所で10勝以上すれば翌場所に復帰できる。場所入りは運転手付きの自家用車の利用が許され移動時の新幹線はグリーン車。海外公演などの航空機移動の際はファーストクラスとなる。横綱昇進は2場所連続優勝か、それに準じる成績が必要とされる。

 【照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお)】
 ☆本名 ガントルガ・ガンエルデネ
 ☆生まれ 1991年11月29日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身の29歳
 ☆サイズ 1メートル92、177キロ
 ☆来日 魁皇に憧れ、18歳の時に白鵬の父ムンフバトさんと縁がある鳥取城北高に相撲留学。高校総体団体戦優勝に貢献
 ☆初土俵 間垣部屋に入門し、若三勝のしこ名で11年技量審査場所(前相撲)で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍
 ☆新十両 13年秋場所(初土俵から所要14場所)。昇進を機に照ノ富士に改名
 ☆新入幕 14年春場所(同17場所)
 ☆新三役 15年春場所(同23場所)
 ☆通算成績 383勝231敗80休(59場所)
 ☆幕内成績 226勝163敗46休(29場所)
 ☆三賞 殊勲賞3回、技能賞3回、敢闘賞3回
 ☆優勝 3回
 ☆得意 右四つ、寄り
 ☆趣味 寝ること
 ☆愛称 ガナ
 ☆家族 ドルジハンド夫人

 ≪再昇進の場合も使者派遣≫現行のカド番制度となった69年名古屋場所以降、大関から降下した場所での10勝以上という特例以外で復帰するのは、77年初場所後の魁傑以来、照ノ富士が2人目となる。魁傑の場合は当初協会が使者を派遣しない方針だったが、急きょ変更して伝達。魁傑は「半分照れくさいよ」と話しながらも伝達式では「謹んでお受けします」とのみ述べたという。現在は協会の番付編成要領に「昇進の場合は使者を派遣し、その旨を伝達する。再昇進の場合も同じとする」と規定されている。特例での復帰では伝達式は行われない。

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