東日本大震災から10年 若隆元、若元春、若隆景 史上初の3兄弟同時関取で故郷・福島に勇気と笑顔を

[ 2021年3月5日 05:30 ]

荒汐部屋の(左から)若隆元、若隆景、若元春
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 東日本大震災から10年。福島市出身の大相撲力士で大波3兄弟の三男と次男の幕内・若隆景(26)、十両・若元春(27)は学法福島高在学中に被災。震災直後の1カ月を兄・若隆元(29)が所属する東京都中央区の荒汐部屋で避難生活を送った。未曽有の災害への不安は周囲の支えに和らげられ、その後の相撲人生に影響を及ぼすことになった。3人は故郷・福島への思いを強くするとともに、相撲史上初となる3兄弟同時関取の快挙で故郷を勇気づけるエールを送り続ける。

 祖父は元小結の若葉山、父・大波政志さん(53)は元幕下・若信夫。「三本の矢」の逸話で有名な戦国武将、毛利元就の息子に由来するしこ名を持つ大波3兄弟は福島きっての相撲一家に育った。2009年に長男の若隆元は角界入り。次男の若元春、三男の若隆景も高校総体の常連、学法福島高で切磋琢磨(せっさたくま)していた11年3月11日。授業中に巨大地震が襲った。

 若隆景は「今まで体感したことない揺れ。縦揺れが来て立ってられなかった」と振り返る。校庭に避難した後、雪が舞い始めて体育館へ移動したが、恐怖心が消え去ることはなかった。相撲部の稽古場は土俵が隆起し、壁はひびが入った。学校は休校。東京電力福島第1原発の事故も発生するなど深刻な状況が続く中、長男が所属する荒汐部屋から誘いを受け2人は東京での生活を決断した。至るところで陥没する道路を父が運転する車で上京。休憩所では泣き叫ぶ人の姿、ハンドルを握る父も涙が止まらなかった。父は述懐する。「福島には帰ってこられないと思った。息子たちも何が何だか分からない様子だった」

 東京での避難生活は1カ月に及んだ。当たり前だった日常が奪われ、テレビなどで視界に入る現実を受け入れられない。当時本名の「大波」を名乗っていた長男はインターネット中継の画面で「不謹慎なしこ名」と書き込まれるなど理不尽な中傷も問題に。何度も気持ちは折れそうになったが、部屋の力士らの励ましが支えになった。

 「原発事故があったり、学校がいつ再開するか。不安はあったけど、周囲に和まされた」と若隆景。1カ月後には復旧した学校の土俵に戻り、自身を見つめ直す機会を得た。若元春は「関取になって頑張れ」との友人の言葉に背中を押された。2人とも兄と同じ部屋に入門し関取の座をつかんだ。苦しい避難生活はかけがえのないものとなったはずだ。

 地元への感謝の気持ちは忘れることはできない。若元春は語る。「3月11日を機に故郷を思う気持ちが強くなった。故郷こそ最大の力」。13年8月には荒汐部屋が約2週間、福島市内の相撲場で合宿を行った。父が「県民を勇気づけたい」と企画したもので大学生だった若隆景も参加。見学者は数千人に及び、力士らと父が営むちゃんこ店で食事した。福島の活性化を感じた瞬間だった。16年夏には福島市での巡業に長男、次男も凱旋。逆に福島の人の笑顔に勇気をもらった。「今はコロナ禍でなかなか帰省もできない。自分たちができることは土俵で福島を喜ばせ、勇気づけること」と3人は口をそろえる。

 初場所は若隆景らが新型コロナウイルスに感染して荒汐部屋全力士が全休。14日に初日を迎える春場所(東京・両国国技館)に懸ける思いは強い。幕内力士として初めて3・11を迎える若隆景は「10年の節目なので、しっかり稽古をして臨みたい」と決意をのぞかせる。夢は史上初となる3兄弟同時関取。「特別な日」には恩返しの意味も込めて、固く誓う。

 ◆若隆元 渡(わかたかもと・わたる=本名・大波渡)1991年(平3)12月29日生まれ、福島市出身の29歳。学法福島高から09年九州場所で初土俵。得意は右四つ、寄り。1メートル83、123キロ。

 ◆若元春 港(わかもとはる・みなと=本名・大波港)1993年(平5)10月5日生まれ、27歳。学法福島高から11年九州場所で初土俵。得意は突き、押し、左四つ、寄り。1メートル86、139キロ。

 ◆若隆景 渥(わかたかかげ・あつし=本名・大波渥)1994年(平6)12月6日生まれ、26歳。東洋大から17年春場所に三段目最下位格付け出しで初土俵。得意は右四つ、寄り。1メートル82、127キロ。

 ≪父はちゃんこで復興支える≫3兄弟の父で福島市でちゃんこ料理店「若葉山」を営む政志さんは震災時、店内にいた。大きな揺れとともに物が崩れ落ち、あらゆる物が散乱。次男と三男が帰宅困難となった友人を連れて来ると「食材はたらふくあった」と料理を振る舞い、泊めたという。息子2人を東京へ送り届けても心の爪痕は消えることはなかったが、約1カ月後、店に戻った大波さんに知人から一本の電話が入った。「ちゃんこ食いたいよ。いつ店を再開するの?」。ふさぎ込んでいた心に風が吹いた。「本当にうれしかった。食べたい人がいるんだ」。腕をまくり、のれんをかけた。今、政志さんは思う。「3人ができることは強くなること。そうすれば応援してくれる。真面目に精進してほしい」と3兄弟に復興の旗印役を託した。

 ≪相撲協会も復興に貢献≫日本相撲協会も被災地の復興に貢献してきた。地震発生から3カ月後には力士らが岩手県山田町などを慰問し、横綱・白鵬が鎮魂の土俵入りを披露。白鵬は土俵の寄贈を呼びかけ、力士会で集めた募金や自身の懸賞金で、宮城県気仙沼市や福島県会津若松市にも贈った。3月11日に36歳となる白鵬は「相撲の良さを知ってもらいたいという思いだった」と明かした。協会は19年まで毎年欠かさず被災地を慰問。巡業部長時代から尽力してきた尾車親方(元大関・琴風)は「相撲は国民に支えられている。この思いを忘れてはいけない」と話した。

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