W杯から1年、自信をつかんだ神鋼・山中亮平の現在地は「富士山の7合目」

[ 2020年9月20日 11:00 ]

神戸製鋼の山中亮平はW杯がかけがえのない財産になった
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 1年前、「ラグビーをやっていて良かった」という言葉を、年配のラガーマンからよく聞いた。日本中を巻き込んだW杯の熱狂は、メジャーとマイナーの中間に位置したこのスポーツを愛した先人に、誇りを与えたのだ。

 コロナが世界を灰色に変えて、楕円球に訪れた幸せなバブルは蒸発してしまったけれど、4戦全勝で1次リーグを突破し、初の8強入りを果たしたのはまだ1年前の話である。

 そう、2019年のきょう9月20日、東京都・味の素スタジアム、開幕ロシア戦から全てが始まった。

 この一戦に、後半30分から出場したFB山中亮平(32=神戸製鋼)は、持ち味のライン参加で、ゴールラインに迫る突破を見せた。幸先いいスタートを切ると、キック力、当たりの強さを、全5試合に出て証明した。

 熱狂から1年。憧れの舞台で世界と戦った経験は、かけがえのない財産として心に残っているようだ。

 「W杯に出てプレーの自信が付いた。試合をしていても今は焦らない感覚があります」

 紅白歌合戦にゲスト出演するほど、テレビや雑誌の依頼がひっきりなしに舞い込んだ慌ただしい日々は、今は落ち着いた。ラグビーボール1000個を、全国の150の幼稚園・保育園に送る「オフ・ザ・フィールド」のチャリティー活動も一段落した。コロナ禍の不自由な生活では、一から体を鍛え直した。今秋に実現する可能性があった日本代表の欧州遠征に備える意味もあった。今は、新シーズンに向けて神戸製鋼の全体練習が始まるのを、今か今かと待っているところだ。

 「だいぶ走りました。ウエートトレーニングと走ることしかできなかったので。フィットネスは、毎テストごとに記録が上がっていた。ベースが上がった。こういう機会がないとできないので良かったですね」

 32歳になった。ラグビー人生を富士山の登頂に例えるなら、「7合目ぐらい」と晩年を自覚する。「23年フランスW杯は今のところ全く考えていない」と、自由自在にプレーしていた若い頃には考えられなかった現実的な発言をするのは、これからは1年勝負だと認識するからだ。「まず神戸で結果を残すこと。神戸でずっと優勝したいですね。優勝したあとのロッカールームは本当に最高なので」。競技人生の残りの3合。一歩ずつ上がった先に、2度目のW杯が見えてくる。(倉世古 洋平)

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2020年9月20日のニュース